「本当に私が?」52歳、がんの告知にパニック。それでも“今からできること”を考え始めた日 | NewsCafe

「本当に私が?」52歳、がんの告知にパニック。それでも“今からできること”を考え始めた日

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
「本当に私が?」52歳、がんの告知にパニック。それでも“今からできること”を考え始めた日

日々が飛ぶように過ぎていくなか、自分のあり方に漠然と迷う40代50代。まるでトンネルのように横たわる五里霧中ですが、そんななか「ほんのちょっとしたトライ」で自分のあり方を捉えなおすには、「最初の一歩」に何をしてみればいいのでしょうか。

ライター野添ちかこがオトナサローネ読者にインタビューを行い、リアルな女性の人生をお届けする本シリーズ。今回は、52歳のときに子宮体がんを患ったミサコさんが病を克服し、ある資格を取得、さらに大学で学び始めたお話をご紹介します。

◾️ミサコさん
兵庫県在住、57歳。新卒から同じ会社に勤務。現在は人事部で社員のキャリア開発に携わる

【私を変える小さなトライ】

 

40歳、椎間板ヘルニアで立ち止まったあのとき、資格への思いが芽生えた

新卒から35年、ずっと同じ会社で働いています。企画部や知財部を経て、今は人事部に所属。もっとも長く在籍していたのは、特許や商標など企業の所有する知的財産権を管理する、知財部でした。

40歳のときに、椎間板ヘルニアになり、数カ月休まざるを得ない状況になってしまいました。椎間板ヘルニアの原因はさまざまですが、おそらく、疲労や冷えからきたのではないかと思っています。今も右足はしびれたままです。

椎間板ヘルニアで休職したときに、ぼんやりと「何か資格を取りたいな」と考えました。知的財産に関する資格といえば、「弁理士」が代表的ですが、あまりにもハードルが高すぎて……。このとき、「キャリアコンサルタントっていいよな」と漠然と思ったのですが、当時はまだ国家資格ではなく、あまり活用ができないと思って、実際には動きませんでした。

 長年悩んでいた婦人科系の不調。52歳で「子宮体がん」と診断されて

若いときから生理不順があって、婦人科系が弱いんです。20代中盤にさしかかる頃から、大量に不正出血を起こし、貧血で毎年のように入院を繰り返していました。医師からは「ホルモン剤を服用してリズムを整えるしかない」と言われていました。ホルモン剤を服用していれば大丈夫なのですが、やめるとたちまち生理周期が狂ってしまうんです。

ただ、ホルモン剤の副作用として、「子宮体がんのリスクが高まる」とも言われています。だから、私は定期的に子宮体がんの検査をしていました。子宮体がんの検査って、すごく痛いんです。子宮頸がんは子宮の入り口である「子宮頸部」を検査しますが、子宮体がんは子宮の奥にある子宮内膜から組織を採取するため、子宮の奥まで器具を入れて、組織をこそぎ取ります。「なんで私だけ、こんなにつらい思いをしなければいけないのだろう」。ずっと、そう思っていました。

52歳のある日、不正出血とおりものがすごくて、慌てて婦人科を受診しました。最初は「子宮頸がんかもしれません」と言われましたが、検査を進めるうちに、子宮体がんだと分かり、総合病院へ転院することに……。その時点では「早期発見で、予後も順調ですよ」と言われていたんです。

手術で婦人科系の器官をすべて摘出。「がんの疑い」だけで人生が変わっていった

総合病院の医師は首を傾げつつ、「子宮体がんだけでなく、卵巣がんのリスクもありますね」と言うんです。「えっー!!!」と驚いてしまって……。子宮体がんだけなら腹腔鏡手術で済むけれど、卵巣がんは開腹手術が必要となり、深刻度は全く変わってきます。

卵巣の場合、手術で卵巣を取って、病理検査に出すまでは確定診断ができないそうです。そうして、私に伝えられた治療方針は、「年齢も年齢なので、再発や転移のリスクを下げるため、婦人科の器官をごっそり切除します」というものでした。子宮、卵管、リンパ節、そして大腸に近いので、大網膜という腹膜も取りました。手術は8時間以上。お腹を切り、大きな傷跡が残りました。

1週間で退院できましたが、医師からは「一旦、退院はしてもらいますが、おそらく転移しています。抗がん剤治療も覚悟してください」と言い渡されました。リンパ節をとってしまっているのでお腹の中にリンパ液が流れ込み、妊娠しているかのようにお腹が膨れた状態でした。

「抗がん剤治療をすれば、副作用で髪の毛も抜けてしまう――」。家に帰っても、病気のことばかり考えてしまって、寝つけませんでした。仕事は3週間ほどお休みしていましたが、職場では最初の診断時に伝えた「予後も良好です。早めに復職します」という言葉が一人歩きしていて、上司も「もう手術を終えて、もうすぐ戻ってこられます」と周囲にアナウンスしていました。

本編では、52歳でがんの疑いに直面し、大手術を受けたミサコさんが、人生の節目に“資格を取りたい”という気持ちを再認識したお話をお届けしました。

▶▶抗がん剤治療は回避。でも「このままじゃ終わらない」そう思った私が挑んだ資格と、その後の変化とは?

では、がんの手術後、ミサコさんが資格を取得したことで気力を取り戻し、さらなる挑戦に向けて歩みだしたお話について、お届けします。

写真はイメージです


《OTONA SALONE》

特集

page top