妻が意識不明から回復し、車椅子生活に。「助かってよかった」だけでは終われない…事故後に突きつけられた現実とは | NewsCafe

妻が意識不明から回復し、車椅子生活に。「助かってよかった」だけでは終われない…事故後に突きつけられた現実とは

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
妻が意識不明から回復し、車椅子生活に。「助かってよかった」だけでは終われない…事故後に突きつけられた現実とは

突然の事故で意識不明となり、「植物状態になる可能性があります」と告げられた妻。家族の懸命な支えの中で奇跡的に意識を取り戻したとき、医学博士の井上裕之氏は大きな安堵を覚えたといいます。

しかし、それですべてが元通りになったわけではありませんでした。本記事では井上氏の著書から、事故後に待ち受けていた過酷な現実と、深い悲しみを抱えながらも前を向くために見つけた生き方について紹介します。

※本記事は書籍『悲しみを手放す。 大切な人との別れや失意の日々が教えてくれること』(井上裕之:著/日本実業出版社)から一部抜粋・編集したものです

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見守ることしかできないもどかしさ

家族が「がんばれ」と声をかけ続けること。「あなたを必要としている」と伝え続けること。それは、生死の境にいる本人にとって、この世界に踏みとどまるたしかな支えになると、私は思います。

もちろん、現実はきれいごとだけではありません。深刻な状況に置かれたとき、心が揺れるのは当然のことです。「助かってほしい」と願う一方で、この先の生活はどうなるのか。

寝たきりになった家族を支え続けていけるのか。ふとした瞬間に弱気な思いがよぎることもあります。

私自身も、何度も心が揺れました。それでも、信じることを選びました。「必ず戻ってくる。きっと大丈夫だ」と。あのとき、声をかけ続けたことが、彼女を引き戻す助けになったのだと思います。

意識が戻った喜びも束の間、厳しい現実が立ちはだかりました。長いあいだ眠り続けていた体は、妻の思うように動いてはくれませんでした。

右腕は強くこわばり、伸ばそうとすると激しい痛みが走る。固まった関節をリハビリでほぐすたび、妻は痛みに顔を歪ませました。

歩行訓練では、一歩踏み出そうとしても、足が前に出ない。何度も倒れ、そのたびに手すりにしがみついて、必死に立ち上がる。その繰り返しでした。

事故の前まで当たり前にできていたことが、何ひとつできない。体が自分のものではないような感覚。どれほどの苦しさだったのか、私には想像することしかできません。

代わってあげたいと何度も思いました。ですが、私にできるのは、そばにいて、声をかけ続けることだけでした。

▶車椅子での生活が始まり、思い知った現実とは

幸せかどうかを決めるのは、自分の心

事故から1年がたったころ、妻は車椅子での生活を始めました。まだ自力で歩くことができず、その状態がいつまで続くのかわかりませんでした。

病院の廊下や街中で誰かとすれ違うとき、ふと、周囲の視線を感じることがありました。そのたびに、妻は居心地が悪そうに顔を伏せました。

同情の視線にさらされることが、どれほど人を傷つけるものか。横で見守ることしかできない私は、胸を締めつけられるばかりでした。

何不自由なく体を動かせることが、どれほど恵まれたことなのか。あらためて思い知らされました。

妻は健康を失いました。身体の機能も、大きく損なわれました。私たちは、事故が起きるその日まで、当たり前に続くと思っていた日常を失いました。

朝、家族で言葉を交わすこと。仕事を終えたあと、変わらない灯りがあること。休みの日に、次はどこへ行こうかと話せること。疑うこともなかった日々は、もう元には戻りませんでした。

「不自由を経験したからこそ、当たり前の幸せに気づけるようになった」

そんな言葉を耳にすることがあります。不自由はつらいものですが、その体験を経ることで、ささやかな出来事を「幸せ」として受け取れるようになり、毎日が豊かに感じられることがあります。

たしかにその通りです。ですが、当時の私は、そう簡単には割り切れませんでした。過酷な現実を無理に肯定しようとしているだけではないか。そう思わずにはいられなかったのです。

あの事故さえなければ、私たち家族は心からの笑顔を交わしていたはずです。

あたたかな未来を奪われてしまった現実を前にして、「今が幸せだ」と言い切ることに、夫として、親として、どうしても心が追いつかないことがありました。

不自由になったことを「これで良かった」とは、どうしても思えなかったのです。

埋めようのない心の穴を抱えたまま、私たちはどうやって明日を迎えればいいのか。どうすれば、この現実と向き合っていけるのか。考え抜いた先に、ひとつの答えにたどり着きました。

車椅子を押す私たちが、同情されるのではなく、誰の目にも素敵に映るような家族になろう。もしかしたら、この先も妻は車椅子のままかもしれない。あるいは、さらに厳しい状態になる可能性だってある。

けれど、どんな状態であっても、私たち家族のあり方は、自分たち次第ではないか。どんな状況にあっても、自分自身がどう生きるか。どう関わるか。その姿が家族のあり方そのものになる。

ならば、前を向いて堂々と生きていこう。「車椅子だからかわいそう」ではなく、「あの家族はカッコいい」と思われるような生き方をしよう。

体の動きに制約はあっても、心まで縛られる必要はありません。元の生活に戻ることだけを幸せと考えるのではなく、与えられた条件の中で、どう生きるかを選び続けること。その先に、自分たちの幸せがあると気づいたのです。

悲しみの受け止め方で人生は変わっていく

あの事故で、私たちは多くのものを失いました。一方で、私は大切な視点を持つことができました。

どれほど深い悲しみに直面しても、人はこれからの生き方を選び直すことができる。私は一連の出来事を通じて、そのことを学びました。

悲しみは、消えるものではありません。けれど、その悲しみをどう受け止めるかで、その後の人生の色あいは、少しずつ変わっていくものです。

私は事故という悲劇、そしてその後の歳月の中で、自分なりの「悲しみとの向き合い方」を見つけることができました。

人生には、避けることのできない別れや喪失があります。その現実を、人はどう受け止めていけばいいのか。私は、その問いを抱えながら生きてきました。

別れを避けることはできなくても、その悲しみとともに、もう一度前を向くことはできるのです。

著者:井上 裕之(いのうえ・ひろゆき)
いのうえ歯科医院理事長、医学博士、経営学博士。東京歯科大学大学院修了後、世界レベルの技術を学ぶためニューヨーク大学、ペンシルベニア大学、イエテボリ大学で研鑽を積み、医療法人社団いのうえ歯科医院を開業。自身の医院で理事長を務めながら島根大学医学部臨床教授、東京医科歯科大学、インディアナ大学客員講師など国内外9大学の役職を歴任。その技術は国内外から評価され、とくに最新医療、スピード治療の技術はメディアに取り上げられ、注目を集める。世界初のジョセフ・マーフィー・トラスト(潜在意識の権威)公認グランドマスター。本業の傍ら、世界的な能力開発プログラム、経営プログラムを学んだ末に、独自の成功哲学「ライフコンパス」をつくり上げ、「価値ある生き方」を伝える著者として全国各地で講演を行っている。著書は90冊を超え、累計140万部を突破。実話から生まれたデビュー作『自分で奇跡を起こす方法』(フォレスト出版)はテレビ番組で紹介され、大きな反響を呼んだ。『本物の気づかい』『一流の人間力』(ともにディスカヴァー)、『不敗の人生をつくる言葉』(致知出版社)、『選ばれる人の100の習慣』(日経BP)など著書多数。


《OTONA SALONE》

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