
不登校の子どもの数は年々増加しており、今や「特別なこと」ではなくなっています。それでも、渦中にいる親にとっては、孤独で、出口の見えない日々が続きます。「うちの子はこのまま大人になれるのだろうか」「レールから外れてしまったらどうなるのか」。そんな不安を抱えたまま、誰にも相談できずにいる方も多いのではないでしょうか。
オトナサローネでエッセイ『シングルファーザー小説家の子育てと社会日記』を連載中の作家・仙田学さんと、オトナサローネ編集部井一が、6月19日にインスタライブで「不登校ラジオ#1」を配信しました。
現在は京都芸術大学で小説の創作を指導する教員でもある仙田さんは、現在中学2年生のお嬢さんが不登校状態にあります。そして実は、仙田さん自身も15歳から18歳まで学校にまったく通わなかった「不登校経験者」。中高一貫校には中3の1学期から行かなくなり、高校には一日も登校しないまま、その後は大学入学資格検定(大検)を経て大学へ進学しました。
つねづね自分のお子さんにその体験を話し、「学校なんか行かなくてもなんとかなるよ」と笑い話にしていた仙田さんですが、実際自分の子どもが不登校になってみると「ものすごく苦しんだ」そう。同じく中2娘が不登校状態にある井一との「記事に書いていない裏話」をお届けします。
不登校体験者であっても「わが子が不登校になるとこんなにもつらいことなのか」
井一(以下、井一): 先生ご自身も不登校だったとのこと。最初から簡単に振り返っていただけますか?
仙田学さん(以下、仙田): 僕は今51歳なんですけど、15歳のときに学校へ行かなくなりました。当時は京都に住んでいて、中学受験して入学した学校は奈良、片道2時間くらいかかるんですよ。それもつらかったのもあって、朝家を出て学校に行くふりをして、映画を見に行って、なにくわぬ顔で夕方帰ってくるみたいな生活を始めたんですね。1週間ぐらいしてバレて、結構大騒ぎになって。親からも学校の先生からも「行け」って言われるんですよね。で、覚えているのは「行け」って言われることが本当にきつかったということ。「行け」って言ってくる人間は信用できないな、と思ったんですよ。それが結構、僕の価値観の根幹の部分にある気がします。
井一: それは「大人は嫌だ」というような価値観でしょうか?
仙田: そうですね。そのころ映画館に入り浸っていて、忌野清志郎が大好きで。清志郎の伝記を読むと、清志郎もあんまり学校行ってなかったみたいで。「こういう人いるんだ」って一つのロールモデルを見つけたのが大きかったですね。最初から知っていたわけじゃないんですけど、不登校の期間中に出会って。
井一: お手本があったというのは一つ大きいですね! 親御さんの対応はどうでしたか?
仙田: 母親が急にいなくなったんですよ、学校に行っていないときに。お母さんどこに行ったのって父親に聞いたら「お前のせいで体調が悪くなって入院した。学校に行ったらお母さん戻ってくる」って言われて。まあしょうがないから学校に行ったら母親が戻ってきた……というのが一番嫌な経験でした。でも、しばらくして大人たちが学校に行かないことをあきらめ始めたとき、ちょくちょく母親や親戚のおばさんが外に連れ出してくれたりして。サイクリング行こうよって言われたり、喫茶店に連れて行ってくれたり。それがすごく楽しかったんですよね。
井一: なるほど。「行け」と言われると信用できなくなるけれど、ただそっと外に連れ出してくれることは良かったんですね。
仙田: そうですね。学校に行っていないことは、本人からしたらものすごい引け目に感じているんですよ。僕の場合は完全に昼夜逆転して、夜中ずっと起きて昼間寝てるっていう生活が何年も続いたんですけど、「別に学校行ってなくても堂々と昼間外で遊んでいいんだよ」ということを、自分の子どもには伝え、実践しています。
親にとっての最悪の事態とは「子どもの命がなくなること」だと思う。生きているだけでありがたい
井一: 先生自身が不登校を経験して、「学校に行かなくてもなんとかなる」と笑い話にしていたくらいなのに、お嬢さんが不登校になったときに想像以上につらい思いをして非常に苦しんだ期間があったとおっしゃっていましたね。これはどういうことだったんでしょうか?
仙田: もしかすると娘の姿に子どもの頃の自分が重なったのかもしれないですね。今は娘は少し落ち着いているので、連載させていただいている内容は1年前を振り返ってまとめています。ちょっとその経験から距離を置いて冷静に文章にできている部分があるのかなと思っています。でも、いざそうなってみると、自分の経験があっても「こうしたらいい」が分からなくて苦しみましたね。
井一: 連載の3話めでは、お嬢さんが行方不明になる事件も書かれていましたね。あのとき、先生はどのようなお気持ちでしたか?
仙田: 僕は癖で、何事に対しても最悪の事態をよく考えるんですよ。リスクヘッジというか。子どもに関しては、長女が2歳くらいのとき、不動産屋の雑居ビルの5階の窓から身を乗り出していたことがあって。箱を積み上げて窓から外を覗いていて、わーって走っていってガッと押さえたっていう体験が原体験にあって。そこから僕は高所恐怖症になりましたし、引っ越しするときも1階にするようにしてとか考えるようになりました。子どもっていうのはいつ命が消えるかも分からないっていうのを1日1日考えながら、それが子育ての一番大事なところにある気がします。
子どもが「めんどくさい」を連発するとき、親はどう受け取ればいい?
井一: 私の娘は、あらゆることに「めんどくさい」しか言わないんですけれど(笑)。先生のお嬢さんにも同じような時期がありましたか?
仙田: うちの子どもも言っていましたよ、めんどくさいって。でも僕はあの言葉、子どもからしたら結構なSOSじゃないかと思っているんですよ。つらいんですよ。つらいけど、「これがつらい」ということが言えないというか、そこまでの元気がないから、「めんどくさい」という一言で表して、まあ逃げるというか。だから僕自身はその「めんどくさい」ということに結構敏感で、ドキッとしますね。
井一: うわー! 今日それを聞けただけでもう価値がありました。めんどくさいというのは遮断の言葉ではなくて、「つらい」のSOSとして受け取るべきということなんですね。
仙田: 僕の場合はそう聞こえましたね。うちの娘が最初に言い出したのは、「学校に行って友達と会ったり話したりするのがめんどくさい」という言葉だったんです。「何がめんどくさいの?」って聞き方はしないで、本人が言い出すまで何か月も待っていました。ある日ぽろっと「実際にこういうことがあって」と話したので、それを聞いて「うわ、それはいやや、それはつらいな。そんなん行きたくないよな。行かんでええよ」と答えました。あとになって、そうか数か月前、娘はこの経験を指してめんどくさいって言っていたのかな、と気づきました。
井一: つらいの代弁としての「めんどくさい」だったんですね。これはお子さんのタイプによるかもしれないですが、少なくとも「めんどくさい」という言葉が返ってきたときに、それをただの反抗や怠惰として受け取るのではなく、「この子はいま何かつらいのかもしれない」という目線を持つ、まずそこから始められるとよいかもしれないですね。
つづき>>>我が子がレールからじりじりと外れていく恐怖に親は耐え続けられない……何の罰なんですか、この試練は




