
現在中2の長女が不登校である作家の仙田学さん。前編記事『不登校になり、眠り続ける娘。「親としてできることは何なのか」振り返ればわたしは恐らく忍耐が足りなかった』では起立性調整障害の診断を受けるまでの経緯を伺った。続く後編では診断後の話を語っていただく。
【仙田学・シングルファーザー小説家の子育てと社会日記】#3 後編
起立性調整障害の「治療」が始まった。長女の意思がかすかに見て取れる
起立性の治療として、先生から勧められた生活改善法は以下のものだった。
・1日何時に寝て何時に起きたかを記録する睡眠表をつける
・血液量を増やすために塩分と水分を多く摂る(目安として1日1.5以上の水分を摂る)
・なるべく起きてすぐに散歩をして、30分ほど歩く
・1日1回はなにかしら勉強をする
・起きあがるときには足首から動かして、膝、太ももと下半身から動かす
たくさんあるが、どれも日常的な習慣にできそうなものばかりだ。ただこれらを実践したとしても、起立性の改善には年単位の時間がかかると言われた。どう思っていたのかはわからなかったが、長女は言われたことを真面目にこなした。
睡眠表とは、縦向きのカレンダーのようなもので、日付と曜日が書きこめるようになっていて、1日ごとに24時間の目盛りがついている。その目盛りを、眠っていた時間のぶんだけ塗りつぶすというものだ。それに長女は毎日、眠っていた時間を記録するようになった。
1日のほとんどの時間が真っ黒に塗りつぶされて、午後の遅い時間から夜までのところだけ、白く残っている。眠ってばかりいる日々が可視化されて、わたしはそれを見ると胸が詰まった。
水分もよく摂るようになった。もともと心配になるくらい摂らない子だったが、自分から水筒にお茶を入れて、家のなかで水筒を持ち歩いてはこまめに水分補給をするようになった。
外出はなかなかできなかったが、たまに午前中に起きられたときには近所の住宅街や、川沿いの道を散歩していた。
いちど9時頃に起きてすぐに、図書館へ行くと家をでたことがある。昼前には帰ってきたので、どうだった?と聞くと、「図書館が開くのが10時からやったから、それまでベンチに座ってスマホ見てた」と答えた。
その時間に起きられたのなら遅れて学校に行くこともできただろうに、開館時間を待ってでも図書館に行きたかったんだ、と思うと、長女の意思に触れられたかのようだった。口にはださないものの、長女なりの思いや考えがあるのだと知れた。
ある日、長女は行方不明になった。その日から「変わったこと」は
わたしが仕事にでていたある日に、こんなことがあった。大学で教員の仕事をしているわたしは、授業があるため10時頃に家をでた。そのときには長女はまだベッドのなかだった。近くに住む母親(長女にとってはおばあちゃん)に来てもらい、昼ごはんを食べさせてもらうことになっていたのだが、11時頃に母親から連絡があった。
「起きてきてソファに座ってるから、学校どうするのって聞いたら、怒りながら着替えて準備して、学校に行ったよ」
家をでた時刻を聞くと、10時半だという。家から学校までは歩いて15分ほどだから、もう着いているはずだ。すぐに学校に電話をすると、ちょうど担任の先生と繋がった。長女はまだ着いていないという。
心臓を握りつぶされたように苦しくなった。
どんなにゆっくり歩いても、30分以上はかからない距離だ。
京都河原町駅に着いてバス停に向かっていたわたしは、電話をしながら踵を返して駅に戻った。
「いまから学校の近くまで戻って、長女を探します。11時半になっても学校に来ていなかったら連絡をください。警察に連絡します」
混乱する頭のなかで最善策を絞りだして、先生に伝えた。先生も、学校の近くを探すと言ってくださった。母親にも、家のまわりを探してほしい、と連絡をした。
最寄駅に戻る電車に揺られながら、その日の大学の授業を休講にする手続きをしようとスマホに指を当てたところで思考が止まってしまう。
事故に遭ったんじゃないか、不審者に連れ去られた? もしかすると……。ニュース記事で読むたびに胸が痛くなる、子どもが巻きこまれた事故や事件のあれこれが頭のなかで渦を巻いた。
「子どもの自死」の文字がその頃は頻繁に頭によぎるようになっていた。
家族にすら打ち明けられない悩みを抱えたまま、追いつめられてその道を選んでしまう子どもの気持ちを思うと、悲しみとも悔しさとも怒りともつかない感情に頭が染まった。
当てたままの指を動かせないでいたスマホが、不意に震えた。中学校からの着信だった。電車のなかにいるのをかまわず通話ボタンを押すと、担任の先生の声が聞こえた。
「いま、学校に来られました。途中で気分が悪くなって、ゆっくり歩いてこられたそうです。保健室で休んでもらってますので、元気になったら教室に入るか、しんどいのが続くようだったら帰っていただくかしますね」
全身から力が抜けて、わたしは電車のドアに凭れかかった。背中が汗で濡れている。
「よかった。助かった」
と思った。学校に行っていないということは、床板1枚下を隔ててその下には荒れ狂う海がある、心細い小さな船に乗っているようなものだと実感した。
長女を守ること。それが、わたしの生活のなかでの最優先事項になった瞬間だった。
今回は、長女の不登校が本格化しはじめた時期に、親としてあれこれ悩み、もがいたことについてふりかえった。次回はさらに、不登校が長引くなかで親として考えたこと、動いたことを掘り下げてみたい。
(次回につづく)
■編集部より/6月19日(金)19時~「不登校ラジオ」スタートします

本連載への高い反響を踏まえ、仙田学さんが「不登校ラジオ」をスタートします。1回目は6月19日(金)19時~、インスタライブでお届けします。オトナサローネのインスタアカウント@otona_saloneにアクセスしてください。どうぞお気軽にご参加を!
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