「もっとできることがあったのでは」40代で父親を看取り、自身にも「がん宣告」──3000人を看取った医師が語る「死と向き合う」ことの大切さ | NewsCafe

「もっとできることがあったのでは」40代で父親を看取り、自身にも「がん宣告」──3000人を看取った医師が語る「死と向き合う」ことの大切さ

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
「もっとできることがあったのでは」40代で父親を看取り、自身にも「がん宣告」──3000人を看取った医師が語る「死と向き合う」ことの大切さ

自分や大切な人の「死」について考えるのは怖く、できることなら避けたい──多くの人がそう感じています。しかし、何も向き合わずに最期の時を迎えると、「もっとできることがあったのでは」と深い後悔を残すこともあります。

これまで3000人のお看取りを経験してきた、たんぽぽクリニックの永井康徳医師は、「人は必ず死を迎えるもの」であり、「死を意識することで人生はより充実する」と語ります。本記事では、永井医師の著書から「死と向き合うことの大切さ」を実感した体験をお届けします。

※本記事は書籍『後悔しないお別れのために33の大切なこと』(永井康徳:著/主婦の友社)から一部抜粋・編集したものです

“死”に向き合い、死”を考えることで人生が充実する

人生の最期、すなわち〝死〟をどのように迎えるか……。 これは、誰にとっても避けられないことです。

ただ、日本では“死”について考える機会がほとんどありません。健康なとき、自分の死について考えることはおそらくないでしょうし、家族など近しい人を介護していたとしても、「いつまでも生きていてほしい」と願う人がほとんどでしょう。

日本では“死”は縁起の悪いもの、おそろしいものというイメージがついているかもしれません。自分はもちろん、大切な人が死ぬことなんて考えたくない、死は自分や家族とは関係のない遠いところにあるものだ……。そう思いたい気持ちもわかります。

私もかつては死を身近に感じていませんでした。今までたくさんの患者さんを看取ってきましたが、医師になった当初は、患者さんの死を医療従事者としての目線で、客観的に見ていたように思います。自分事ではない、他人の死、「三人称の死」としてとらえていたのでしょう。

そんななか40代で、自分の父親を看取りました。ある程度、覚悟はしていましたが、自分の親の死という「二人称の死」を体験して、これまで本当の意味で患者さんや家族の立場に立てていなかったことを思い知ったのです。

自分の死と向き合い、生きることがさらに充実

さらに、47歳のときに自分自身が進行がんと診断されました。このときはじめて、私は自分自身の死「一人称の死」に向き合うことになります。「どうして自分ががんに!?」「手術が成功しなかったらどうしよう」「転移があったら……」「自分にもしものことがあれば残された家族は……、病院のスタッフは……」など、不安だらけでした。自分が患者になったことで、はじめて患者さんの気持ちがわかったのです。

ただ、死が目の前に突きつけられたことで、自分自身の人生、生き方が変わりました。「人はいつか必ず死ぬ。命には限りがあり、だからこそすばらしい」ということに気がついたのです。「いつか死を迎えるその日まで、一度しかない人生を後悔のないよう、思いきり生き抜こう」、そのように考えるようになりました。

手術が成功して転移もなく、仕事に復帰した今は、より患者さんに寄り添い、一日一日を大切に、精いっぱい生きることをいつも忘れないようにしています。

死の確率は100。人は必ずいつか死を迎える

日本の医療は病気を治すことを目的としているため、「死は敗北である」と考える医師が少なくありません。また、医学教育においても「死に向き合う」ことについて、具体的に教えられていません。

しかし、いくら医療が発展しても、死をないものとすることはできません。秦の始皇帝など、権力者が不老不死の薬を求めたという伝説は、世界中に少なからず存在しますが、人の死亡率は100%です。誰でも、いつかは死を迎えます。

死は当たり前のことであり、特別なものではありません。むしろ、死を意識して生きることで人生はより充実する、私はそう考えています。死を意識すると一日一日が大切で、精いっぱい生きるようになります。

天寿をまっとうするということ

医学部を卒業し、研修が終わって最初に勤務したのは、愛媛県西予市明浜町俵津にある僻地(へきち)診療所でした。それまで病院勤務の経験しかなかった私は、食べられなくなったら点滴をして、状態が悪ければ入院をするのが当たり前だと思っていました。

地域で最高齢の102 歳の女性の患者さんは、長年、脳梗塞で寝たきりのため、通院が難しく、訪問診療に行っていました。同居する長男夫婦の手厚い介護を受けながら療養されていましたが、徐々に老衰(ろうすい)が進み、食事がとれなくなってきたのです。

入院は希望されなかったので、点滴をしようとしましたが患者さんは「食べられなくなったら終わりだから、絶対に点滴はしてくれるな」と言います。このままでは栄養不良になる、そう思って何度も点滴をすすめましたが、本人は頑として受け入れません。どうすべきか悩みましたが無理に点滴をすることはできませんでした。

患者さんの希望どおり、自然にまかせてみていたのですが、点滴をしないとむくみもなくたんも出ず、とても楽に過ごしています。約2週間後に亡くなりましたが、とても穏やかで凜とした表情でした。

点滴をしていたらむくみが出て、吸引などでつらい思いをしたでしょう。最期に医療を行わない自然な看取り、「天寿」をまっとうするという選択もあることを、このとき教わりました。

ここまでの記事では、永井医師が「死と向き合うことの大切さ」を感じたエピソードをご紹介しました。続く『関連記事』では、「人が死を迎えるまでの過程」について解説します。
つづき>>がん・老衰・突然死…最期はどう訪れる?明日、死んでもいい人は一定数いる⁉ 3000人を看取った医師が教える、意外と知らない「死」のキホン

著者略歴: 永井康徳(ナガイヤスノリ)
医療法人ゆうの森 たんぽぽクリニック 医師 。愛媛県の僻地診療所勤務の後、2000年に愛媛県松山市で、四国で初めての在宅医療専門のたんぽぽクリニックを開業。「理念」と「システム」と「人材」のすべてを高いレベルで維持して在宅医療の質を高めることをめざし、現在は常勤医10人、職員100人の多職種チームで在宅医療を主体に、有床診療所、外来の運営も行っている。平成22年には市町村合併の余波で廃止となった人口約1200人の町の国保へき地診療所を民営化し、開設4ヶ月で黒字化を達成。そのへき地医療への取り組みは平成28年に第1回日本サービス大賞地方創生大臣賞を受賞。全国各地での講演を行い、「全国在宅医療テスト」や「今すぐ役立つ在宅医療未来道場(通称いまみら)」「流石カフェ」など在宅医療の普及のための様々な取り組みを行っている。YouTubeの「たんぽぽ先生の在宅医療チャンネル」も大好評。


《OTONA SALONE》

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