
*TOP画像/小一郎(仲野太賀) 藤吉郎(池松壮亮) 半兵衛(菅田将暉)ほか 大河ドラマ『豊臣兄弟!』11話(3月22日放送)より(C)NHK
戦国時代のど真ん中を舞台にした『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)の主人公は仲野太賀が演じる豊臣秀長。兄弟の絆で“天下統一”という偉業を成し遂げた豊臣兄弟の奇跡を描いた大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)の第11話が3月22日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。
知恵で本圀寺(ほんこくじ)と将軍を守り抜いた小一郎
本放送では、浅井長政(中島歩)のもとに嫁いだ市(宮崎あおい)の近況が描かれました。長政は市を心から愛していましたが、彼の父・久政(榎木孝明)は市を織田家の者と警戒し、織田家を忘れることを強く望んでいました。兄を守るために浅井家に嫁いだのに、兄を忘れなければならない市の状況は大変心苦しいものです。
乱世で必死に生きているのは市だけではありません。織田信長(小栗旬)に命じられた小一郎(仲野太賀)と藤吉郎(池松壮亮)は、堺の商人・今井宗久(和田正人)らに矢銭二万貫を納めさせるため、苦戦していました。小一郎はその銭で鉄砲300丁を購入し、還元する提案をしましたが、想定外の事態が発生します。

藤吉郎(池松壮亮)ほか 大河ドラマ『豊臣兄弟!』11話(3月22日放送)より(C)NHK
三好三人衆が将軍・足利義昭(尾上右近)を狙い、本圀寺を襲撃。その手助けをしたのは鉄砲商人・津田宗及(マギー)でした。鉄砲をより高値で購入してくれる三好三人衆に売り、「より もうけの大きい相手と商いするんが あきんどの常道でございます」と理念を明かしていました。この時代、義理人情だけでは生き残れず、商売において利益主義も避けられません。
本圀寺で何かが起こるだろうことを最初に察知したのは蜂須賀正勝(高橋努)。彼は外で用を足しているときに、敵の気配や鳥の不自然な動きを感じたのです。本圀寺が危機に陥る中、義昭は「わしは そなたらと共におる!逃げも隠れもせぬ!」と勇敢に敵前に立ちました。義昭は自らの命と引き換えに三好三人衆の悪行を世に知らしめようとしましたが、小一郎はその企てを反対します。
「侍はともかく 百姓にとっては 誰が将軍様であろうが さして違いはござりませぬ。皆 その日その日を生きるので 精いっぱいじゃ。潔う死んで満足するんは 侍だけでござりまする。百姓は どんなに不作でも どんなに ひもじくとも 自分から死のうとする者はおりませぬ」
今は侍として生きる小一郎ですが、もとは百姓です。だからこそ、百姓の視点を持ち、侍の常識がすべてではないことを理解しています。
“百姓にとって誰が将軍でも違いはさしてない” “その日を生きるので精いっぱい”という言葉に、多くの視聴者が心を打たれたと思います。今の世にも、政治に距離を感じている人は少なくありませんが、彼らの中には今を生きるだけで精いっぱいの人、“誰がトップでも自分の暮らしは変わらない”とあきらめている人もいるはずです。小一郎の言葉は今の私たちにも通じます。
小一郎が本圀寺と義昭を守るためにひらめいたのは、寺の住職に扮して時間稼ぎをすることでした。「住職」として三好三人衆を説得し、織田軍到着まで持ちこたえました。斎藤龍興(濱田龍臣)は小一郎を怪しんだものの、見抜くまでには至らず、三好三人衆は織田軍の到来で退却を余儀なくされました。

小一郎(仲野太賀) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』11話(3月22日放送)より(C)NHK
明智光秀(要潤)が「小一郎殿は最初から 兄のことを 待っていたのかもしれませぬな」と口にしていたように、小一郎は藤吉郎を信じていたからこそ、この命がけの策を実行できたのでしょう。
【史実解説】本圀寺の変とは?
織田信長が京都に入ると、京都で勢力を振るっていた三好は逃げ出しました。そして、京都を支配した信長は、足利義昭を室町幕府の15代将軍に任命。信長は義昭のために豪華な二条城を築きました。
義昭は本作の10話でも信長を「我が心の父と思っておる」と述べていましたが、史実でも「御父(お父様)」と呼ぶほど慕い、感謝していました。けれども、信長は義昭に実権を与えなかったため、二人の関係は少しずつぎくしゃくしていきます。
本圀寺はこうした中で起きました。信長が本拠地である美濃に帰った隙をついて、三好三人衆が義昭を10000人の兵で冬の日に襲ったのです。このとき、義昭は本圀寺にいましたが、寺の警護は城よりも手薄で、三好三人衆にとって好都合でした。
義昭を護ったのが、明智光秀です。光秀は援軍が到着するまで2000人の兵で義昭を守り、敵を撃退しました。信長は光秀の活躍を高く評価し、京都奉行に任命しました。本放送では小一郎の活躍が大々的に描かれていましたが、光秀が指揮を堂々と執っていましたし、「こういう時のために 兵を調達しておいた」と小一郎に話してもいました。
ちなみに、信長は三好三人衆が本圀寺を囲み始めた日からおよそ5日後に義昭のもとに到着しました。現代人の感覚だと“岐阜から京都まで5日もかかるなんて遅すぎる”と思うかもしれませんが、当時はメールも電話もなければ、新幹線や飛行機もありません。大雪の中、信長が急いで駆け付けたことは明らかです。
本編では、本圀寺の危機の中で小一郎が知恵を尽くして将軍を守り抜いた姿と、「百姓にとって誰が将軍でも違いはない」という言葉に込められた現実についてお伝えしました。
▶▶戦場で亡くなった人の遺体はどうなったのか? 畑を壊された農民がその「代償」としたものとは…。戦国時代の現実【NHK大河『豊臣兄弟!』11話】
では、戦場で命を落とした人々がどのように弔われ、遺体がどのように扱われていたのか、戦国時代の「死」の現実についてお届けします。




