「死ぬよりは、逃げる道を選んでください」
芥川賞作家の田中慎弥さんの言葉です。田中さんは大学受験失敗後、約15年間ひきこもり生活をしていたそうです。
属する組織やシステムに従うしかなくなった「奴隷状態」を脱したいと願うのなら、「いまいる場所から逃げること」と田中さんは断言します。ひきこもりもその手段のひとつ。
でも全力で逃げた「そのあと」、私たちはどう生きたらよいのでしょう? その後の人生、何を足がかりに考えればよいのでしょうか。
実際に「逃げた」経験を持つ田中さんが語る「人生の仕切り直し」について、お伝えしたいと思います。
※この記事は、『孤独に生きよ 逃げるが勝ちの思考』田中慎弥著(徳間書店)より一部を抜粋・編集してお送りします。
「仕切りなおしの職業」を考えるとき、手がかりとなるものは?
かつて抱いていた夢を棚卸しし、現状と照らし合わせてみる。すると、やっぱり夢は夢だ、これは現在の自分にはつながらない、そう愕然とするかもしれません。その代表格は、野球やサッカーなどのプロスポーツ選手でしょう。
三十代でその夢を実現させることはたしかに不可能です。でも、そこでもう少し視野を拡げてみる。野球やサッカーに関する仕事ということだったらどうか。可能性はあるのではないでしょうか。
プロスポーツの世界では、選手という立場以外にも、審判、球団の職員、球場のスタッフ、マスコミ関係者などなど、取り巻く仕事はたくさんあります。野球もサッカーも、競技として洗練されていて、世界を股にかける巨大なエンターテインメントに発展しています。
多くの人々が魅了されるのも当然だと思います。純粋に観戦を楽しむのもいいですが、一歩先に進めて、そこまで好きなら仕事にしようと考えてもいいのではないですか。選手にはなれないけれど、その巨大エンターテインメントに関連した仕事を目指してみてはどうでしょう。
実際に就いたら就いたで、もちろんファンとして楽しんでいたときには想像もつかなかった苦労や軋轢(あつれき)が、山ほどあるに違いありません。
でも、それはあなたにとってマイナスにはなりえない。自分の好きな道に仕事でかかわることのストイックさは、奴隷の対極にあります。
鍛えぬかれた、いってみれば超人的なプロアスリートを応援するのは、最高の娯楽だと思います。反発を恐れず言えば、応援する側は楽だし、傷つくこともないわけです。エンターテインメントたるゆえんです。
でも、もしもあなたがその競技を本当に好きなら、もっと切実にかかわろうとしてもいいのではないでしょうか。反発承知でもうひとつ言うなら、他人を応援して満足している場合なのですか。他人がメシを食っている姿を横で眺めていて、果たして自分の腹が膨れるのか?
自分の好きなことは、そっと大事にしておきたい。仕事に絡めるのは抵抗がある。嫌いになってしまったらどうするのか。
そうした気持ちが湧くかもしれません。それはそれで人情として理解できます。でも長い年月、ずっと好きだったものを、そうそう簡単に嫌いにはならないし、嫌いになろうと思ってもできない。それも人情です。あと、少しくらいのリスクは背負わないと、現状は打開できません。
あなたにとっての「なにか」、この場合はプロスポーツに対する憧れ、ということになりますが、それに思い当たれば、仕切りなおしの職業としてそこを目がけて進んでみてはどうでしょう。
やりたいと、漠然とでも頭に浮かんだのなら、その職業に就くことが、完全に無理だとは感じていない証拠なのですから。
自分にとって価値ある「なにか」を手繰り寄せること。武器となるのは「ささやかな思い」
その道に職業でかかわるには、こういった段階を経ればいい、必要な能力はこういうものだ、この資格を取っておかなくてはならないと、明確に示されていればいいのですが、そのようにはっきり数値化されているとは限りません。
自分で推しはかりながら進むしかないことも多いわけで、逆に言えば、道筋をみずから描くことができさえすれば、道はきっと拓(ひら)けてくるはずです。
わたしの場合、死んでも作家になりたいとまでは思っていなかったけれど、「なれたらいいなという気持ちはずっとどこかにありました。
強靭な意志が一本しっかり通っていたと胸を張れるほどではないにしろ、どうあってもなれないと、ハナから決めつけるようなことはありませんでした。
わたしは、じっくり、ねちっこく、あきらめずに過ごしていたことになります。普通に考えれば、作家なんて間口の狭い、特殊な職業ですから、どう考えてもわたしには無理だ、という結論になります。
学歴があるわけでもなし、ゆえに専門的な勉強をしたわけでもなし、ならば小説の大きなテーマとなるような特殊な経験や出自があるのかといえば、戦争体験はもちろんありませんし、人種、宗教上の差別を経験したわけでもありません。
まあ、官僚や大企業の社員になることだってほぼ無理なわけですが、ある程度の読書体験はこなしているという自負、傍目(はため)からすれば自負というにはあまりに心許(こころもと)ない自負なのでしょうが、それでもわたしにとって価値ある「なにか」をつかむきっかけにはなりえたくらいの自負はありました。
それを足がかりに「無理かな、どうだろう、無理かな」と思いながらも、なんだかんだ小説を書き続けていたわけですね。
どんな小さな「なにか」でもいい。それを見出して、いったん手繰り寄せれば、あなたはあきらめずに努力を続けることができる。
サッカー観戦を通して、喜びや落胆を味わった。あの感動の場に少しでも近づきたい。そんなささやかな思いが、あなたの大きな武器になります。
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■BOOK:『孤独に生きよ 逃げるが勝ちの思考』田中慎弥著
■著者 田中慎弥(たなか・しんや)
1972年、山口県生まれ。2005年に「冷たい水の羊」で新潮新人賞を受賞し、作家デビュー。08年、「蛹」で川端康成文学賞、『切れた鎖』で三島由紀夫賞を受賞。12年、『共喰い』で芥川龍之介賞を受賞。19年、『ひよこ太陽』で泉鏡花文学賞を受賞。『燃える家』『宰相A』『流れる島と海の怪物』『死神』など著書多数。