「この年で転職は、もう厳しいでしょ」
「いまだに夢みたいな話をしていないで、地道に働いたほうがいいよ」
本当にそうでしょうか?
芥川賞作家の田中慎弥さんは大学受験失敗後、約15年間ひきこもり生活をしていたそうです。年齢を重ね、五十歳を過ぎた今、田中さんが思うこととは?
※この記事は、著書の『孤独に生きよ 逃げるが勝ちの思考』田中慎弥著(徳間書店)より一部を抜粋・編集してお送りします。
「臆病風に吹かれてください」不安で当然。それよりも肝心なこととは?
三十半ばを迎え、四十歳になるころには、厄介なことが増えてきます。まず体力の衰え。駅の階段を昇るだけで息が切れる。油断して酒を飲みすぎると翌日ひどい目にあう。
精神面にもかつてほどの高揚は望むべくもない。好奇心が薄れ、集中力が減退する。加えて、親の介護であったり、親戚の借金であったり、部下からの突き上げであったり、次々に受難を被(こうむ)るものだから、疲れるし、感情も乏しくなる。
さらに五十代になると、気力全体が衰え、自分の内側に残っているエネルギーが乏しいことに気づき、できることはもうやり尽くしたのではないかというあきらめの気持ちに支配されたりもする。まあ、いろいろ思いどおりにいかなくなるわけです。
そんな曲がり角にもかかわらず夢を語れば、風当たりは冷たいものでしょう。馬鹿だの、身の程知らずだの、言われるかもしれない。本人が描く夢なんて、他人からすれば鬱陶(うっとう)しいだけですから。
でも、見方を変えれば、そこからの新たな再出発は、周りを出し抜くのだから、そのぶんチャンスも膨らむというものです。
とはいえ、不安だろうと思います。それでかまわない。臆病風に吹かれてください。わたしも三十三歳で作家としての仕事を得るまで、ずいぶん臆病でした。
新人賞を取って、作家の入口に立つまでは「小説家になれたらいいけど、どうだろう、無理かな、どうかな、いや無理だよな」と思いながら、毎日原稿用紙と向き合っていました。
現実を前に竦(すく)み、その陰で小説を書き続けていたようなもので、我ながら、せこいというか、情けない振る舞いですが、でも、自分のやりたい道に挑戦するには、それなりの不安が伴うのが当然です。
臆病になっても、継続さえできていればいい。肝心なのは、継続と、その先にある実現なのですから、あえて不安を払拭しようとする必要はどこにもないのです。
自信も学歴もないわたしはさまざまな本を手当たり次第に読み、鉛筆を動かし続ける以外ありませんでした。もっとも、やっていることはいまもほとんど変わらないし、臆病なままですが。
自信満々で書いている作家なんて、果たしているのでしょうか。いたとしても、そんな作家の書く小説はつまらないような気がします。
あなたも臆病風に吹かれながら必死に取り組んで、それで前進すれば喜び、進歩がなければ落胆すればいいのです。
一筋縄ではいかず、一進一退の先になにかがある。感情はいつも揺れ動き、順風満帆にはいかない。だからこそ挑み甲斐があるのです。
無駄な力を出し切り、「適度な脱力状態」にしておく。必要なのは「費やす手間隙」
専門知識やノウハウは、チャンスをものにする準備として必ずしも必須ではないですが、もちろんそうした実践的な能力があるに越したことはありません。
どんな分野の職業であろうと、そこで駆使する能力は、天性のものもあるでしょうが、後天的に獲得しなければならないものもあります。
だから、実践的な能力は手間と時間をじっくりかけてはじめて養われます。手間隙を惜しめばいつまでも身につかないのは当然のこととして、一度ついた能力も怠ればたちまち萎(しぼ)んでしまいます。
あなたの努力が報われて、やりたかった仕事にありつけたとしても、能力を磨く営みは半永久的に続けなければなりません。それが実践ということであり、現役であるということなのですから。
わたしは職業柄、言葉や論理というものを日々、使っているわけですが、言葉や論理といった数値化できない能力であっても、油断すればたちどころに衰えます。
小説を書けば書くほど、言葉は枯れて、硬直していく。だから書くこと、つまりアウトプットすることと並行して、本を読み続けることも欠かせません。
そうして新鮮な言葉や論理を常に自分の中に取り入れ、育む。育んだそれをしかるべき機会に駆使する。そしてまた取り入れる。その繰り返しです。言葉は決して自然に湧いてくるものではないのです。
あえて難解な本を読み込むことも、わたしの職業的能力を高め、維持するうえで大切なことのひとつです。わからない本を、わからないと思いながら読むのは、直接的な収穫にはつながりにくい。
でも、うんうん唸りながら理解しようと努力することで、いわば無駄な力を出し切ることができる。そうしないことには、小説を書くうえで、先にはいけないという実感があります。
どういう分野でのパフォーマンスであれ、本番に臨むときは余計な力が入っていないほうが、良い結果につながるものです。本番で力みを抑えるには、その前段階で目一杯、力んでおいて、適度な脱力状態にしておくのが理想的です。
わたしはいつも小説の書き出しで悩みます。ああしよう、こうしよう、あれこれ考えて、なにかを書いてはそれを破り捨てて、ということを延々(えんえん)とします。無駄な時間です。なにも生産していない。破り捨てた原稿はもちろんお金にならない。
でも、そこで力を消費したあとに、スムーズに書ける瞬間が来る。すなわち本番に臨めるわけです。
となると、逆説的な言い方になりますが、自分の目指すところが定まり、そこにたどりつくために費やした手間隙は、ひとつたりとも無駄にはならない。
努力が報われず、まだやりたいことを実現できていなかったとしても、あなたは密かに着々と向上しているのです。
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■BOOK:『孤独に生きよ 逃げるが勝ちの思考』田中慎弥著
■著者 田中慎弥(たなか・しんや)
1972年、山口県生まれ。2005年に「冷たい水の羊」で新潮新人賞を受賞し、作家デビュー。08年、「蛹」で川端康成文学賞、『切れた鎖』で三島由紀夫賞を受賞。12年、『共喰い』で芥川龍之介賞を受賞。19年、『ひよこ太陽』で泉鏡花文学賞を受賞。『燃える家』『宰相A』『流れる島と海の怪物』『死神』など著書多数。