TOP画像:ユミさん。台中の花畑祭りにて
日々が飛ぶように過ぎていくなか、自分のあり方に漠然と迷う40代50代。まるでトンネルのように横たわる五里霧中ですが、そんななか「ほんのちょっとしたトライ」で自分のあり方を捉えなおすには、「最初の一歩」に何をしてみればいいのでしょうか。
ライター野添ちかこがオトナサローネ読者にインタビューを行い、リアルな女性の人生をお届けする本シリーズ。今回は、離婚して台湾に渡り、日本語教師になったユミさんの体験談をご紹介します。
◾️ユミさん
神奈川県出身、現在は台湾・台中に一人暮らしをする52歳。28歳で結婚して平穏な日々を過ごすも45歳で離婚、49歳で台湾へ。大学1年の娘、25歳の息子は日本在住。
【私を変える小さなトライ#21】前編
惰性で送っていた結婚生活にピリオドを打ち、「もう一度恋愛がしたい」
もともと一人旅が好きだった私。結婚していた頃、家族の了承を得て、お正月に台湾一人旅をしたことがありました。「台湾の人はみんな元気で、昭和の頃の日本みたいでいい国だな」という印象がありました。
結婚生活は、13年間、夫婦関係がなく、ケンカも絶えず、惰性で送っていたような感じでした。平和ではあるのですが、「このままおばあちゃんになるのはイヤ。もう一度恋愛もしたい」という気持ちが日に日に強くなっていって……。
台湾旅行のあとに、言語交換のサイトでお友達ができてLINEでやり取りをしていたのですが、やり取りがすごく楽しくて。そこで久しぶりに恋愛的な感情に目覚めたというのも、離婚を後押ししました。
両親は「離婚したなんて、ご近所には言っちゃダメ」。肩身の狭い実家で、窮屈な日々を過ごす

理容師の実習をするユミさん
日本では歯科医院で歯科衛生士の仕事と、実家の理容院で理容師として働いていました。歯科衛生士は歯科医院で勤務する以外にも市役所で乳幼児の健康診断をしたり、高齢者施設で健康講座を行ったり、いろいろやっていました。
離婚後は、歩いて1分くらいの実家に戻ったのですが、両親は「離婚なんてもってのほか。近所に知られたくない」という価値観で、だんだん折り合いが悪くなっていきました。私は割と両親の理想通りの人生を歩んできて、親とは共依存の関係だったと思います。
離婚をしてから、「私と両親の考えは違う。『顔を見るのもイヤ』」となってしまいました。ちょうど世の中はコロナ禍。私のなかで、ふつふつと「台湾に行きたい」という思いが強くなっていったのです。歯科衛生士や理容師の資格は日本国内だけのものですので、「どうやったら台湾に住めるんだろう?」と考えるうちに、「日本語教師が近道だろう」という結論に至りました。
「そうだ、日本語教師になろう!」 60万円、1年かけて48歳で資格を取得
そうして、日本語教師の養成コースの受講を決めます。日本語教師になるには、大学や大学院で日本語教育課程を修了するか、日本語教師養成講座の420時間コースを修了しなければいけません。そのころ私は、離婚をしたといっても子どものために料理や掃除をしに元の家へ通っていて、ふつうの母親と同じように家事はしていました。
勉強は、働きながらしました。初めの半年間は家でオンライン講座を受講し、その後はスクールへ通います。トータルで10カ月から1年くらいかかったでしょうか。受講費用は約60万円。
そうやって無事、48歳のときに日本語教師の資格を取得し、就職活動を開始したのですが、日本から履歴書を送ってもなかなかうまくいきません。
「この歳だし、履歴書だけだと難しいのかな?」「現地に行って売り込まないとダメかな?」と焦りを感じ始めた私は、ある行動を起こします。
「現地で就職活動をするのがいちばん。だから、台湾に行くには語学留学しよう!」と思い立ち、早速、台北の大学が募集していた外国人向けの中国語留学コースに申し込み、台湾への渡航を決めました。コロナ禍でも語学留学であれば、ビザが下りれば入国することができたんです。
本編では、「台湾に住みたい」と思ったユミさんが、日本語教師の資格を取得するも就職活動で苦戦。語学留学で渡航するまでのお話をお届けしました。
続いての▶▶「6カ月の留学コースの間に『就職も絶対決める!』崖っぷち49歳女性が台湾で日本語教師になる(後編)」では、台湾で日本語教師の職を得て、さらには恋愛も楽しみつつ台湾生活を満喫するユミさんのお話をお届けします。