ステージAの小葉がんを治療中の梅宮アンナさん。「病気を公表してから、アンナさんはいっそう輝きが増している」という声があちこちから聞こえます。
11月7日に右乳房とリンパ節の摘出を受け、11月14日に退院。12月5日には2つめの抗がん剤「パクリタキセル」での治療がスタートし、すでに5回目の投与を終えました。そんなアンナさんがいま思うこととは? 1月の気持ちを4回連続でお伝えします。
【独占連載「アンナの日々」#6】2
いったんアメリカに帰った娘が、もういちど日本にきてくれることに。待ち遠しい
娘の百々果は私の闘病開始直後にアメリカから帰国、3カ月もの間つきそってくれて、12月上旬にいったんアメリカに戻りました。そして、これからまた日本に戻ってきてくれる予定です。インスタによく登場するので「なんでそんなに親子仲がいいの?」と聞かれることがありますが、親子というより友人感覚のほうが強いかもしれません。遠慮のない友人と言うべきですね、取っ組み合いのケンカもいまだにするから(笑)。
生まれた直後の百々果をだっこした瞬間、この子がハタチになるまでに「仕上げる」仕事が始まったんだなと感じました。当時夫とは喧嘩してばかりでしたから、育児という仕事には不適切、離婚しようと即決しました。さすがにその時点でインターに入れるところまでは考えていませんでしたが、でも自分の頭で考えて進む道を選んで行く人間に仕上げるにはどうしたらいいのかと、完成図を先に考えてから手前に「やるべきこと」を考えていったのです。
いま百々果は22歳、親の援助は一切受けずに自立して生活しています。彼女の意思を尊重すると、自然に親子というより友人のような立場になるのだと思います。でも、今回は大ゲンカしたとき「帰ってきてくれてありがとうって言ってほしかった」と言われました。えええ、あれだけインスタにも書いてるのに?と思いましたが、「違うのママ、直接『百々果ありがとう』って言葉で言ってほしかったの」。そっか。クラウディアさん、いま言いますね、いつもありがとう(隣に座っているお母さまに話しかけながら。お母さま「どういたしまして」)。闘病って、こうしてたくさん言葉を出さないとならないですね。
百々果にしてみれば、これまでの生活を一度捨てて帰ってきたんですね。大人から見れば「片づけただけでしょう」ですが、本人はそう思ってるから、私の言葉にもかちんときてしまう。10年たってもう一度同じことになったらまた違うのでしょうね、きっともう少しお互いうまくやれると思います。
今の私たちは、距離が近づきすぎると疲れてしまうけれど、離れればとても寂しい。きっと10年たったら百々果も親になっていると思うから、その時を楽しみにしています。その前に、治療が一通り終わったら、早く百々果の暮らすアメリカに行きたい。それがいまいちばんの楽しみです。
私はポジティブというよりは「リアリスト」なのだと思います。現実をそのまま受け止めるから
「アンナさんの闘病開始後、芸能人ががんを公表するようになりましたね!」という声もいただきました。私ね、世の中はきれいごとではできていないから、芸能人だって痛いなら痛いと言っていいと思うんです。これまでみなさん、仕事を失うことを恐れて、隠して闘病してきましたから。
でも、言ったあとにどうするかはよく考えないとならないです。どれだけ丁寧に自分を取り巻く方々と向き合ってきたかが明らかになるから。例えば私は価値観が食い違うようになった元マネージャーへの業務依頼を終了し、川村学園時代からの友人、マコさんにマネジメントをお願いしています。長い間の友人の縁が私の危機を助けてくれているのです。こうして、終わるご縁と強まるご縁が同時に生まれるのが、闘病を公表するということなのだと思います。
先日、ハイヒールりんごさんの収録にお邪魔しましたら、りんごさんに「ポジティブ人間ね~」って言われました。「アンナちゃん、すべてをポジティブに捉えてるね」って。いや、私も泣くんですよ、インスタライブでもよく泣いてますよね(笑)。でも、この経験には意味があるなと捉えています。弱くなる自分がいることも含めて、無理には強がってないのもあります。なるべく、あるがままに受け入れようとしています。
「病気で稼ぐのか」のような辛辣なコメントが入るたび、「人それぞれにその人にしかできない仕事があることに、どうか気づいて。あなたもご自身の経験を役立てて幸福を追求してください」と、祈るような気持ちになります。私にとっては、これがその仕事だとわかってしまったから。
日本の医療は本当に素晴らしいけれど、「医療の外側」が未整備かも。術後ケアの充実を望みます
さて、11月に右乳房・右リンパ節郭清手術を受けて改めて気づきましたが、私の理想は切ったあとに術後ケアまでがセットになっていることです。そういえば、妊娠出産もこんな感じでした。日本の医療1つ1つは言葉にできないほど素晴らしく、関わるすべての人たちに感謝しかないのですが、残念ながら仕組みの面では切ったら・産んだらさよならで、そのあとのフォローが続いていかないんですよね。
術後にリハビリがあるのかなと思っていましたが、ありませんでした。リンパ浮腫ケアは紹介してもらいましたが、いろいろな体験談を聞く限り、それだけでは足りないのではないかなと思います。
患者の暮らしはそのあとも続いていきますので、退院したらハイ終わり!なのがとにかく悲しかった。私には幸いにして探すカンがあるのでものすごく探して、理学療法ベースのストレッチと、がん経験者によるボディマッサージにたどりつけました。でも、普通の人はあの痛みの中ここまで探せないと思うのです。
きっとみんな、術後2週間くらいで誰か人の手でさすってもらいたい瞬間がくるはずなんです。ですが私ですら、最初にクーポンサイトで探したマッサージでは「手術後の患者はNG」と断られました。こうしたサロンで断られることって普通ないじゃないですか、私も人生はじめての体験で、ただでさえ痛みと戦ってメンタルがものすごく落ち込んでいる中でしたから、大ショックを受けて3時間くらい泣いてしまいました。そのくらい、痛みは人のメンタルを変えてしまいます。こういうことも、これまであまり語られてこなかった部分なのかなと思います。たぶん、みんな、ひたすらこうした試練に耐えてきたのですね。
つづき>>>病気になってから「いっそう輝いている」理由は?「神さまが私に与えてくださった運命だと感じています」