読売新聞(1月4日付)によりますと、2011年3月の東京電力・福島第一原発事故による自主避難をした福島県民への住宅支援について、4月以降、避難先の都道府県によって差が生じることになることがわかりました。今年の3月で事故から6年目となります。福島県内では、事故による避難地域だった町村では、17年春までには4町村が避難指示が解除され、課題は細分化されていきます。
福島県は原発事故に伴い、避難指示地域以外から避難した自主避難者に対して、無条件で住宅の無償提供(月6万円の家賃が上限)をしてきました。しかし、事故から6年が経つ今年の3月末をもって、福島県は打ち切ります。そのため、避難先の24都道府県(青森、秋田、山形、埼玉、福岡、沖縄など)では、独自に無料提供の延長などを行います。しかし、岩手、宮城、兵庫、熊本、鹿児島などの19県は、独自の支援策をしない方針です。千葉、静岡、三重の3県は検討中です。
自主避難者といっても多様な生活があります。すでに仕事も学校も生活も避難先で充実してきている人もいれば、仕事が見つからない人、「父親は福島県内で、母子は避難先で」(いわゆる母子避難)という世帯もあります。そのため、どのような支援が必要かは、個別のニーズによって変わってきます。復興や自立のスピードは、それぞれの事情が左右します。そのため、打ち切りを決める以前に、本来は、福島県がニーズ調査し、必要な支援の財源を模索すべきだったと思います。
原発事故当初、情報は十分に公開されていませんでした。そのためもあり、自分たちの地域の汚染度が心配した、特に子どもがいた世帯の中には、指示がなくても、避難をしていました。一度、避難すると、子どもたちは同級生などの友達ができます。避難元の地域が汚染が低いとわかったとしても、親類との関係や自身の家族との関係、地域との関係が変化していき、それだけでそう簡単に帰ることができない事情ができました。避難をめぐって夫婦の考えの隔たりが明らかになり、離婚となった場合もありました。単に、どこに住むのか?ということだけでなく、生活が成り立つ支援を考えてほしいものです。
一方、避難指示が出てきた地域のうち、春までに国は、浪江町、富岡町、飯館村の帰還困難地域をのぞく全域、川俣町山木屋地区の避難指示を解除します。第一原発の立地する大熊町、双葉町の2町は避難指示が続きます。この周辺に行きますと、一部地域を除いて、高線量の地域はほとんど見当たりません。空間線量だけを見れば、危機的な状況からは脱したと言えるでしょう。しかし、生活するとなると、生活の基盤となる商店がまだ少なく、帰還率も高くありません。楢葉町では10%、葛尾村では7.6%、南相馬市小高区では11.8%で、ほとんどが高齢者です。
子育て世代がどれだけ戻るのかが鍵ですが、一度、いわき市や郡山市など、これまでよりも便利で、人口も多い地域に避難した子育て世代にとっては、積極的に戻る理由がありません。子どもたちの話を聞いても、「戻っても何人いるかわからないし、好きな部活もない」「受験勉強をするには戻らないほうがいい」「友達を分かれてまで戻る理由もない」などを聞きました。6年というと、震災時に小1だった子どもは中1になります。中1だった子どもは高校を卒業します。震災当初にあった「同級生に会いたい」という気持ちも薄れています。むしろ、避難先の同級生と離れたくない感情のほうが強いでしょう。
となれば、旧来の住民たちに向けて、どのようにすれば戻ってくるのかばかりを考えても、地域に住む住民は増えません。むしろ、新たな産業や新たな地域を作り出すという姿勢でなければ、地域の再生は難しい。一度、住民を失った地域がどのように再生していくのでしょうか。震災から6年目は、課題がより具体的に見えてくることになることでしょう。
[執筆者:渋井哲也]
《NewsCafeゲイノウ》
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