昨年10月の滋賀県大津市の市立中学校での「いじめが原因と見られる中学2年生の自殺事件」が、ついに市の教育委員会・市立中学校への「極めてまれな教育の現場への警察の強制捜査」という形で山場を迎えている。通常で言えば「任意の資料提出依頼」と言う案件だが、あえて強制捜査に踏み切ったところに、この事件の特異性を感じる。折からの九州の水害報道を上回る報道量だ。それだけ「世の中の関心を引く事件」と言う事なのだろう。
このコラムを書くに当たって「子供の自殺」でネット検索をすると、「大津 いじめ 自殺」に関する投稿の多さに驚く。感情的な投稿、加害者への脅迫的な投稿、暴露的な投稿、正論型の投稿などさまざまだが、改めて「ネット時代の情報伝達の凄さと恐ろしさ」を実感させられた。
今回の事件に対する中学校(校長)と市の教育委員会事務長(教育長)の対応や記者会見でのやり取りを見ていると、「責任感のないお粗末さ」はおくとして、「原発問題と同じ、村の掟や理屈が優先」を感じてしまうのである。
福島原発事故では「原発村の体質」が大きな問題となった。原発に関わる「政・官・業・学・メディアのスクラム」と「隠す・言い逃れる・自己保身が行動原理」という体質が明るみに出たのである。まさに今回の大津の事件も同じだ。戦後の改革で「教育の独立性」が叫ばれ「教育委員会」を頂点とする仕組みが作られ「教育問題は不可侵」と言う基礎が作られた。これにより「村を守る事が優先」と言う作法が定着したのである。「村」と言う点では「公安委員会を頂点とする警察機構」も村社会の典型で、多くの不祥事を隠してきたのである。今回の事件でも警察も「相談を3回も受けながら被害届を受理しなかった」と言う引け目がある。まさに「すねに傷を持つ二つの村」が衝突したのである。
識者は『事件の本質に気がつかず、これを軽く見た2つの「村組織」がどの様に落ちをつけるか見ものである。お粗末な教育現場や警察現場の対応を考えると「本当に事件の核心に迫れるのか・何故自殺を防げなかったのか」が明らかになるとは思えない。この事件はようやく受理された告訴状を見ても「いじめを超えた犯罪行為」と見て取れるし、事件を隠そうとした関係者は「事件の隠匿の罪」で同罪とも思える。すでに該当する加害生徒や担任の先生を転校させたとの嫌な情報もある。この事件の背景には「地元の事情」や「先生が生徒と向き合うゆとりが無い教育制度がある」と言う人もいるが、本質は「先生とは、教育とは何なのかの自覚の欠如」と思えるのである。本格的な第3者委員会が真相解明と対策の提言を行い、合わせて教育委員会(県&市)と学校の体制を刷新すべきである』と言う。その通りなのであるが、それなりにキチンとしている先生の存在を考えると、なんともやりきれない事件である。
[気になる記事から時代のキーワードを読む/ライター 井上信一郎]
《NewsCafeコラム》
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