石川遼の妙薬は | NewsCafe

石川遼の妙薬は

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「20歳でマスターズ優勝」と書いた小学校の卒業文集。20才になった石川遼は世界ランク50位前後をさまよい、3月の頭まで今年のマスターズの出場権を得られていなかった。
残された出場資格獲得は、マスターズ開催前週までに世界ランク50位入り。米国男子ツアーを参戦しランクアップを狙うが、結果はなかなかでず、むしろ53位と後退するする一方だった。

残り試合も少なく夢の舞台も遠のく現実。ところが6日マスターズ委員会から特別招待選手として招待すると発表があった。夢の実現に、首の皮一枚つながり、4年連続の出場が決まった。

■マスターズ初出場は17歳
1回目は17歳。彗星のごとく現れた日本の若者は、マスターズ委員会まで動かした。17歳6か月の出場は史上2番目の年少記録。しかし64位で予選落ち。翌年は日本賞金王、世界ランク30位で出場したが夢への壁は高く予選落ち。昨年はついに予選突破を果たし、初の決勝ラウンド進出を決めた。通算3アンダーの20位タイとなった。

同年代のローリー・マキロイ、リッキー・ファウラーと石川遼で「3R」と期待された。オーガスタの舞台で活躍する石川遼は、震災直後で、ゴルフファンならずとも希望を与えるものだった。
「獲得賞金全額とバーディ・イーグル一個に10万円を寄付する」と発表。明るい話題となった。

■2011年の獲得賞金全額を義援金としたが…
しかし、プロ転向後初めて優勝できないシーズンとなった。フェアウエーキープ率は43.1%と103位。ドライバーの飛距離も前年の296.8ヤードよりも6ヤード後退した。平均パットがランキング1位、絶妙なアプローチショットで賞金ランキング3位をかろうじて確保した。

2010年のマスターズで好調だった石川遼はどうしてしまったのか。

鍵は全英オープンだ。初日4オーバーで107位。2日目終了で+14。予選通過には遥か及ばなかった。
メジャーで優勝するにはピンポイントでピンを狙わなければと、スイングの改良に取り掛かった。そのスイング改良が結果的に不安定なドライバーショットを産んでいる。向上心が高く、人の好い石川は、先輩たちからのアドバイスを積極的に聞き、取り入れる。

ゴルフに完成はないと言われるが、石川ほど頻繁にスイング改善をする選手は聞いたことがない。尾崎も中嶋常幸も、ニクラウスもタイガーも、そのあと優勝するまでは厳しい試練が続いた。やはり、専門のコーチを決めるスイングを固める時だ。

2011プレジデンツカップに選出されての活躍。昨年のWGCブリヂストン招待の最終日最終組で優勝争い。今年に入ってはWGCアクセンチュアマッチプレー選手権で前週ツアー優勝者、ビル・ハースの撃破など、確かに実績はある。しかし今回の特別招待は少し甘い感じがしないでもない。石川遼が出場するしないでは視聴率は大きく違う日本の放送局の事情もあるだろう。8日からの米ツアー「プエルトリコ・オープン」。ツアー裏大会だがプレッシャーから開放されたのか、優勝を逸したものの2位となった。これでランキングも47位に上がる。このまま行けば、堂々と資格を得ての出場となる。

■さらなる飛躍をするために
石川のスランプは彼の人気に預かる周辺の甘やかしにあるのではないか。
20歳になったのだから父親からも自立し、しっかりしたコーチに付き、自分で考える選手としての自立が必要だろう。ゴルフはコースに出れば自己との戦いなのだ。

[ビハインド・ザ・ゲーム/スポーツライター・鳴門怜央]
《NewsCafeコラム》
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