「あの日」から一年が経ちます。一年目の当日は、各地でいろいろな行事が行われます。みなさんはどこで何をするのでしょうか。もちろん、一年目とは関係なく、淡々と日々を過ごすのも悪くはありません。
私は被災地のどこかにいようと思っています。一年目の前後には、福島県、宮城県、岩手県を回っていることでしょう。予定ですと、3月11日は岩手県釜石市にいると思います。一年間、被災地を回り続けた私にとって、どこもそれなりの思い入れがあります。本当は、そのどこにも行きたい気持ちです。ただ、その日、どのように過ごすのか、具体的にどこにいるのかは決めていません。
一年目の一週間前となる3月4日。宮城県栗原市の通大寺で「東日本大震災 追悼と復興への集い」が開かれました。栗原市の曹洞宗の住職が集まり、檀家さんらが参列する中、萬燈会(追悼法要)をしました。私も参加してきました。
東日本大震災が起きた時、内陸だった栗原市に津波被害はありません。しかし、築館地区は最大震度7、最大加速度を観測した地点だったのです。死者はいませんでしたが、全壊した建物は47棟ありました。金田諦応住職は震災直後、周辺の市町村では死者が多かったために、火葬場でボランティアをし、死者の供養をしていたといいます。しかし、49日(5月28日)を過ぎて、"供養はもう終わり"と思い、被災者支援に目を向けるようになったのです。
「最初のころは避難所で炊き出しをしていたんです。でも、『我々、坊主にしかできないこと』をしないといけない考えたんです。やっぱり、苦悩や悲しみで右往左往している人たちの中心にいないとだめだと思いました」
こうした開いたのが「カフェ・デ・モンク」。「喫茶店で文句を言おう」という意味もある。また、文句は英語で「僧侶」。「僧侶の喫茶店」という意味を掛けた名前だが、いわゆる傾聴活動のひとつだ。このカフェでは、手作りのケーキも持ってくる。ケーキは「その日のぜいたくであり、特別な感覚がある」(金田住職)。気分が高揚する一つの"しかけ"であり、そんな中でいろんな話が出てくるのです。
そんな金田住職との出会いは7月頃でした。「週刊金曜日」で「震災と宗教」をテーマに執筆したのですが、その取材で知り合いました。それまで瓦礫の中で、カフェを開き、被災者の笑顔を作り出して来たのです。また、年末には、石巻市の「にっこりサンパーク」の仮設住宅で、年越しそばを被災者に振る舞いましたが、私も手伝いました。さらに、「週刊女性」の連載で、震災関連自殺と心のケアをテーマにしたときも取り上げました。そんな関係もあり、4日も各地でいろいろな行事がありましたが、通大寺に行くことにしたのです。
そんな金田住職はいつまで「カフェ・デ・モンク」、つまり被災者支援を続けるのでしょうか。
「集い」が終わった後に聞いてみました。
「もう来るな、って言われるまでさ。あとは、資金が尽きるかだな」
被災者のニーズがなくなるまで続けたい意志があるようです。ある意味、私が被災地取材を続けるのと似たような想いがあるようです。では、3月11日はどうしてるのでしょうか?
「夜は家にいますよ。3月3日に、南三陸町の戸倉地区から志津川地区まで行脚したんです。その時に火を持って歩きました。その火をろうそくに付けて、静かに過ごしていると思うよ」
一年前、当たり前だった風景や人間関係が一瞬のうちになくなってしまった被災地だが、瓦礫は片付けられ、全半壊した家屋も整理されつつあります。被災者の気持ちは一様に語ることもできない。亡くなった方々への想いをまだ整理できない人もいるでしょう。「あの時」を思い出し、不安を抱くこともいるでしょう。
そんな中で、被災者のこんな声を聞いたことがあります。
「もともと東北沿岸部は閉塞感があり、若者が根付いていない地域だった。だから、なんとかしたいと思っても、なかなかできないでいた。そんなところに震災があった。どうしようもない無力感があったものの、地域をどうにかしたい、という気持ちも芽生えたのはたしか。被災をチャンスに変えたい」
復興とは何か。
いろんなことを考えさせられる一年目。被災者、被災地への想いを馳せたいと思います。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
《NewsCafeコラム》
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