青春時代のバレンタイン・デーは悲惨なものだった。
中学・高校において部活動以上の盛り上がりで繰り広げられていた恋愛活動。そんな恋愛活動を謳歌する人たちにとってバレンタイン・デーは一大イベントであろう。
しかし、恋愛活動から完全に部外者となっていた私が女子からチョコをもらえる可能性は限りなくゼロに近く「もう2月14日はこの世に存在していないことにしよう…」といった気持ちでひっそりとバレンタイン・デーをやり過ごすのを常としていた。
しかし厄介なことに思春期の男子には、有り余るほどの自意識がある。少なくとも私にはあった。
奇跡など起こることはないと百も承知ながら、どこかで期待せずにはおられず、登校時、下駄箱を開ける際、授業前、机の中を確認する際、帰宅の準備をする際など、要所要所で周りを意識し、必要以上に緊張していた。しかし、毎年、緊張は無意味に終わった…。
そんな私を家で待ち受けているのが「母ちゃんチョコ」である。
この「母ちゃんチョコ」は思春期の私にとって大変な屈辱であった。夕食時、家族全員の前で行われる一連の会話は、多感な年齢の私を傷つけるに充分な内容であった。
「今年はチョコもらえた?」
「別に…興味ないし…」
「どうせ、もらえんかったんじゃろ?じゃけえ母ちゃんから、これ。美味しそうじゃろ?」
「…ありがとう」
とどめに父が「よかったな」などと言ってくる。さらに私には姉が2人おり、彼女たちも毎年チョコをくれていた。「これで3つ、エエな、モテモテじゃな!」と笑う母に私は何も言いえず、ただ黙ってメシを食った。
私は母に対して乱暴な口をきいたことは一度もなく、母の日のプレゼントも毎年渡す、いわゆる「いい息子」であった。しかしこのバレンタイン・デーの恒例行事「母ちゃんチョコ」に、私は自尊心を粉々にされ、正直、母に怒りに似た感情を抱いてしまった。
ちなみに三十路に突入した今でも、母から毎年チョコが郵送されてくる。2人の姉からもだ。
大人になった今では母と姉たちの愛情に心から感謝している。しかし思春期の私には「母ちゃんチョコ」は屈辱であり、苦々しく思っていたことは事実だ。夕食の後、家族の前で食べたチョコの味も非常に苦く感じられたものだ。あの頃、「ありがとう」と口では言っていたが、私は複雑な表情をしていたと思う。それでも満面の笑顔で愛情タップリのチョコをくれた母に10代の私に変わって礼を言いたい。
「母ちゃん、ありがとう」
姉たちにも言いたい。
「姉ちゃん、ありがとう」
「結局、信じられる女は母ちゃんと姉ちゃんだけだ!」…先日、夫婦ゲンカで思わずそんなセリフを言い放ってしまい、妻にドン引きされた…。
[編集後記~Newsスナック/NewsCafe編集長 長江勝尚]
《NewsCafeコラム》
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