「閉経の平均年齢は、50~51歳です」--女性のヘルスケアについてよく記事を書くライターとして、何度こう書いてきたかわからない。初経のすぐあとから「月経なんてなければいいのに」と思っていたけれど、閉経なんて気が遠くなるほどの未来だった。それが気づけば、あと2カ月足らずで50歳。いつ閉経してもおかしくない。
でも、私のなかでは「もう閉経した」ことになっているのです。43歳のとき、自分で「これで閉経」と決めました。
【私の更年期by三浦ゆえ】#1
ここまで30年から40年間、私たちは自分の身体に振り回されてきたけれど…
最近よく見聞きする「女性特有の健康課題」というやつに、さんざん振り回されてきた。10代のころからの月経痛、子宮内膜症からの卵巣嚢腫、その治療のために左卵巣摘出。それから流産に、望まない妊娠(これは自分の軽率さが招いたことだけど)。卵子凍結保存を試みたけど、納得のいく結果は得られず、いまでも検診のたびに「筋腫に気をつけましょう」といわれる。
40歳を過ぎ、もう自分の人生に「子どもを産む」というイベントは発生しないのだろうと思ったとき、月経のわずらわしさレベルがさらに上昇した。そのころ、婦人科医への取材中にこんな話があった。
「閉経の平均年齢は50歳というのは、よく知られるようになりましたが、そうするとみなさん、なぜか自分も50歳で閉経すると思っているようなんですよ。あくまで平均なので、55歳ぐらいで閉経する人も結構いますよ」
はい、私もそのひとり。「あと10年」とカウントダウンをはじめるところでした。
平均なのだからそれより早く閉経する人もいれば、遅く閉経する人もいる……めちゃくちゃ当たり前のことなのに、自分は平均ど真ん中だと思っていたのはなぜなのか。
それはさておき、「あと10年」が「あと15年」になるのは、私にとって由々しき事態だった。
閉経が近づいた女性って「ただ減っていく」、軽くなっていく「わけではない」と知って
同じころ、ちょっと年上の友人知人たちから、「月経がたいへん」という話をちょくちょく聞くようになった。40代になると卵巣機能が低下しはじめ、ホルモンバランスが崩れがちになる。月経周期が不規則になり、2、3カ月来なくて「このまま閉経か」と思っていたら、今度は2、3週間おきぐらいに出血があるとか。経血量が極端に増え、外出先で服を汚してしまったとか、朝起きたら布団が赤く染まっていたとか。
しばらく前、女性議員がSNSに「突然月経がはじまって困った」「27歳でもこんなこと起こります」といった内容の投稿をして議論が紛糾したけれど、いえいえ40代でもありえることですよ。
これまで御しがたいと思っていた月経が、ますます御しがたくなるかもしれない。そういう過程を経ずに、さらっと閉経できないものか。15年は長すぎる。いますぐ閉経したい。真剣にそう考えるようになった。
世の中に、月経を大切に思う人がいることは知っている。妊娠出産につながる神秘的な現象として特別な意味合いをもたせる人や、女性であることの象徴のように思い閉経をさみしく感じる人の存在も。
でも、私はもう終わりにしたい。その人たちはその人たちで、私は私。私の身体に起きている月経という現象を終わらせるとき、主語は「私」以外にありえない。
43歳のときに、ミレーナを装着した。
ミレーナ装着でわかった「閉経を自分で決める」大きな意義。ただ月経を抑制することだけでなく
ミレーナとは、子宮内に装着する小さなT字型の装置。そこから黄体ホルモンが子宮内に持続的に放出することで、高い避妊効果を発揮するほか、月経困難症の改善が期待できる。一度装着すると、最大で5年間効果が持続する。
レディースクリニックでの装着は、はっきり言って、痛かった※。でも、「我慢する価値のある痛み」だと、私個人は思う。装着後ほどなくして月経が嘘のように軽くなり、やがてほぼなくなったからだ。
(※現在は、子宮の入口付近に使う浸潤麻酔、頸管内ブロック、または笑気麻酔を提案するクリニックが増えている)
ホルモンの影響がほとんどない快適さは、低用量ピルを服用していた時期があるので知らないわけではなかったけれど、ミレーナはそれに加えて毎日の服用も、何カ月かおきかの通院もない。ものぐさな私には、ベストチョイスといえた。唯一の後悔は「もっと早く装着すればよかった」ということぐらい。
私、閉経できた!
日本語としてはおかしいし、実際には閉経していない。ミレーナを外せば、月経は再開する。けれど、これが私の実感だった。自分で決めたから、この快適さを手に入れられた。
別に、自分のことを自分で決めたのは、このときがはじめてだったわけではない。人生40年以上生きていれば当然だし、誰だってそうだと思う。
でも、「自分で決める」=「自分基準」だとはかぎらない。
私たちの世代は「同質性が高く」「とにかくたくさんいた」。でも、みんなが横並びで走っていたはずなのに
1975年生まれ、ぎりぎり団塊ジュニアと呼ばれる世代。いまと違って、子どもの数が多かった。私が通っていた地方都市の中学校は、1学年で12クラスあった。そのなかで目立つといえば、よほど優秀か容姿が優れているか、または逸脱しているか(私の育った地域では、まだ”ヤンキー”といわれる人たちがちらほらいた)。
どちらにもなれないなら、目立たないのがいちばん。実に同質性が高い集団だったと思う。判断基準となるのは「みんな一緒」「人からどう思われるか」で、流行をそこそこ抑えつつ、ふんわりとある枠からはみ出ないよう気をつける。話題のドラマや音楽は、観ていなくても、なんとなく話を合わせておく。
事態が一変したのが、就職活動だったように思う。就職氷河期世代といわれる私たち。ほんの数歳上の世代が「みんな一緒」と横並びにできていた就職が、途端にできなくなった。
新卒一括採用から漏れ、その後の人生が自分の思い描いていたものからどんどん外れていく不安を、あの時代どれだけの若者が体験しただろう。経済的な安定が見込めず、上の世代から受け継がれてきた「このくらいの年齢で結婚し、このくらいの年齢で出産し、子どもは何人ぐらい設ける」に乗っかることの難易度が、一気に跳ね上がった。
バブル崩壊の影響で企業の業績が悪化したり、即戦力となる中途採用が重視されるようになったり、そんなの自分たちの責任ではまったくないのに「厳しいなかでも新卒採用された人はいるし、そうできなかった自分が悪い」と思わされたまま、その後の20年、30年を生きていくことになる、ほんとしんどい世代。
それでも「みんな一緒」を目指してはきた。結婚したいなら婚活をしなければという風潮になり、活動はしたものの出会いに恵まれず「自分がダメだからだ」と自己嫌悪に陥る。テレビ番組を契機に「卵子が老化する!」と広まれば、生きるのに精いっぱいでそれどころではなかったことを一瞬で脇に置いて、「後回しにしてきた自分が悪い!」と、やっぱり自分を責める。
なんという呪縛のキツさよ。もう「みんな一緒」がむずかしい時代、というより、そんなん最初から無理な話です。時代がそうだった、社会構造の問題だ、と気づく前に刷り込まれた自己責任論は、こすり落とすのが非常にむずかしい。
「全員が平均年齢にぴたりと閉経するわけではない」そんなことにすら思い込みを持っていないか
他人事のように書いているけれど、私もそうやって生きてきたひとりです。いま考えると、平均年齢ぴったりで閉経するという思い込みも、「みんな一緒」呪縛に由来があるのかもしれない。
月経がつらいのも「みんな一緒」だと思っていた。だから我慢しなければ、と。自分基準で「こんなに痛いのはイヤだ、おかしい」と判断し、早く病院にアクセスしていれば、卵巣を片方失うまでには至らなかったと思えてならない。
そうして、40代でのミレーナ装着。やっと自分の身体のことを自分で決められるようになったのは、陳腐ではあるけど、年齢のおかげかな、と思うところが大きい。
いままで生きてきて「みんな一緒」になるための努力が、いい実を結んだことはなかったと、遅ればせながら気づいた。加えて、人生の残り半分(長い)も「みんな一緒」のために努力しつづけるだけの気力がない。体力もない。自分基準は、身軽でいい。
私の場合はここに、月経のわずらわしさレベルがピークに達するタイミングが重なり、「イチ抜けた」と自主的に閉経を選択し、行動した。
自分で決めて手に入れた快適さは、格別なものがある。おばさんは図々しいといわれるけど、それは周りに合わせず、自分基準で決める人のことをいっているのではないか。だったら、図々しい上等、という話だ。
おそらく「最後の」ミレーナ交換に思うこと
さて、ミレーナ。一昨年、48歳ではじめての交換を経験した。年齢を考えても、これが最後の交換になる可能性は高い。
同じクリニックでの施術だったが、今回は麻酔の使用を提案された。交換となると、これまで子宮に入っていたものを抜いて、新たなものを装着するので、二度痛い。お値段を考えると笑気麻酔一択だけど、私は笑気麻酔の効きが悪いのか、いつも悪夢を見ているような時間になるので、麻酔ナシを選択した。
案の定、痛かった。けれど、これも自分で決めたこと……そう思えば我慢のしがいがあるというもの。いや、そうはいっても痛いんですけどね。
私は今日も、月経にも子宮・卵巣にもほとんど振り回されない日々を生きています。
【編集部より】このエッセイを読んでご自身の閉経について教えてくれる方、こちらにご記入ください