SUPER EIGHT村上信五、祖母との秘話明かす「罪悪感がとんでもなかった」“半分論”の原点とは | NewsCafe

SUPER EIGHT村上信五、祖母との秘話明かす「罪悪感がとんでもなかった」“半分論”の原点とは

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「半分論」刊行記念プレス取材に出席した村上信五(C)モデルプレス
【モデルプレス=2025/04/14】SUPER EIGHT(スーパーエイト)の村上信五が14日、都内で行われた自身初の著書『半分論』刊行記念プレス取材に出席。“半分論”という考え方の原点を明かす場面があった。

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◆村上信五、自身初の著書はツアー合間に制作

冒頭から「先生になりました」と挨拶して笑いを誘った村上。本作については「純度100パー、自分の言葉のみで書かせていただいた」と語り、「あまた聞かれましてですね。『本当に書いたんですか』とか。『AIシンゴ』というのは別で作ってるもんですから、『そっち使ったんじゃないですか』という疑念、疑惑がありましたけれども、正真正銘、100パーセント私が全部書きました。『半分論』は、あります!」と力を込めて笑わせた。

ツアーの合間を縫って執筆していたというが、「ビギナーズラック的なものなのかなとは思いながら、生みの苦しみは全くなく」と辛さを感じずに書き上げたことを告白。「ある種、書きながら自分の思考を整理できていったというのもあるので、このような機会をきちんと与えてくださったことに逆に感謝もありつつ、非常に楽しい作業でありました」と執筆期間を振り返った。

◆村上信五、著書制作のきっかけ明かす

執筆の経緯は文化放送のラジオ『村上信五くんと経済クン』で文芸評論家の三宅香帆氏との会話がきっかけだったという。村上は「『(三宅氏の著書に)共感できるところがたくさんあるんですよ。ちなみに僕やったら半分に分けてこうだと思うんです。半分論みたいな』って言ったら、三宅先生が『面白そうだから、本になったら読んでみたい』って言ってくださったのが1番最初」と明かした。

“半分論”という考え方に関しては「タイトルからすると、『何か悩み事とかがあったら半分に割り切ればいいじゃないか』って、入り口は入られるかと思う」とした上で、「“AとB”という“イエス、ノー”みたいな2つの選択肢にまず分けた後に、AにはAダッシュ、次のAダッシュツー、みたいな、どんどん半分が増えていく」と説明。続けて「選択肢を増やしていくっていうことは、スタートは半分にしたところから始まりますけど、そこからの選択肢って、ある種のグレーゾーンで、無限に広がるんじゃないかと。その無限の部分をどう考えていくか、どう考えれば自分が楽になって楽しくなっていくかというのを、結構詳しく書いたつもりでございます」と語った。

◆村上信五「半分論」の原点とは

また、“半分論”の思考に至った原点を問われると「僕、この芸能界に入ってから1回だけ仕事サボったことがありまして。嘘をついて」と吐露。村上は「今は亡き祖母をちょっと悪者にしてしまってですね。それも少し書かせていただいたんですけど、その時が唯一、仕事をサボった最初の『行こうかな、行かんとこうかな』という2択だったんですよね」と打ち明け、「その時に僕は『行かない』という選択肢を選んでしまったんですけど、その後の背徳感や罪悪感がとんでもなかったんです。まだ10代の頃でしたけれども」と振り返った。

その上で「振り返れば、皆さんきっと人生のターニングポイント、転機と言われる時に、『あそこであれを選んでたから今の自分があるんだ』ということは往々にしておありかと思う」としつつ、「僕は原点、そこ。その後は、『芸能界で頑張るんだ』と決めました」と当時を回顧。「そこから、やれるかやれないかはまた別の話であって、自分でやると決めたからにはやるということを前提に、その後の選択肢を都度都度選んでいきましたので、きっと振り返れば、その祖母への嘘が半分論の原点になってるような気がします」とまとめていた。

◆村上信五「半分論」

同書は、村上が20年以上活躍している中で感じた葛藤や挫折から導き出した、独自の新しい思考回路法を収録。これほど自身の事を振り返ったことはない、というほど43年間を振り返り、その時の公私エピソードとともに、村上の脳内プロセス、知恵の構造、人生哲学を綴っている。(modelpress編集部)

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