吉原の遊女「引退後」は楽園か、地獄か? 大門を出た遊女たちが直面する現実とは | NewsCafe

吉原の遊女「引退後」は楽園か、地獄か? 大門を出た遊女たちが直面する現実とは

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吉原の遊女「引退後」は楽園か、地獄か? 大門を出た遊女たちが直面する現実とは

*TOP画像/瀬似(小芝風花) 鳥山検校(市原隼人) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」13話(4月6日放送)より(C)NHK

 

「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は江戸時代における「吉原の遊女の引退後の暮らし」について見ていきましょう。

遊女は年季が明ければ“自由の身”になれる

吉原は男性にとって煌びやかで魅力的な場所であるものの、遊女にとっては「苦界」です。しかし、この苦しみは建前上は永遠に続くわけではなく、生きていれば数十年後には自由になれます。10代半ば頃から働き始めた場合、27歳頃には借金の返済は終わり、遊郭を出ることが許されます。年季が明けた遊女は主に次の道に進みました。

■妻、もしくは妾

吉原で働いていた遊女の多くは引退すると妻や妾になりました。すでに年季が明けているため、一般女性と同じように家庭に入れます。元遊女の夫になった人の多くが客といわれています。

遊女は身請けされれば年季中に吉原を出られますが、男性客がお気に入りの遊女を身請けするには最低でも1000万円ほど必要です。現代でも1000万円ものお金をポンッと支払える男性は少ないですが、それは当時も今も変わりません。

また、遊女の中には吉原で働く男性(小料理屋の主人、河岸見世の亭主など)と結婚する女性も珍しくなかったといいます。

当時、遊女に対する偏見はさほどありませんでした。遊女は家族の借金のカタとして吉原に売られた身であることを世間も知っていたためです。性産業に携わっていたからといって差別を受けることはあまりなかったといわれています。

ただ、1つ問題点が。幼い頃から芸事の世界で生きてきた彼女たちは一般の女性のように家事をこなせません。家事ができないという観点から、元遊女の女性を我が家に入れることを好まない人もいました

なお、身分の高い家や金持ちの商人の家であれば女中がいるため、妻や妾に家事力は求められることは通常ありませんでした。

■吉原で働き続ける

当時における女性の就職といえば女中奉公でした。しかし、遊女は家事とは無縁の生活を送ってきたため家事労働がむずかしいケースがほとんどです。

年季が明けて自由の身になっても行くあてがない女性たちの中には遊郭に残り、遊女として働き続けるしかないケースも少なくありませんでした。

なお、遊女として働ける年齢を過ぎたら遊女の世話役にまわります。

■店の経営者

遊女の中に店の女主人になった女性もいます。ただし、このような成功を手にできた女性は一握りであり一般論ではありません。

金持ちの男に身請けされ、遺産を相続して、そのお金で店の経営者に成り上がった元遊女もいるそうですよ。

実家に帰る遊女は、少ない

年季が明けた後、行くあてがなくても、実家に戻る元遊女は少なかったといいます。多くの遊女にとって吉原に売られるということは家族との別れでもあったのです。

ただし、回復の見込みがない病気を患った場合は年季中であっても、治療を理由に実家に帰れることがありました。病気を理由に実家に帰れるのは遊郭の主人の温情といえるかもしれません。というのも、契約内容によっては、親は娘がこの世を去っても知らせてもらえませんでした。

吉原を生きて出られなかった遊女の存在を忘れてはいけない

生きていれば27歳前後で年季が明け、吉原を出られる可能性が高かったものの、多くの遊女が20代後半になる前にこの世を去りました。

遊郭の大きな収入源となる高級遊女を除き、不衛生な生活を余儀なくされただけでなく、病気になれば放置されました。また、遊女は梅毒の脅威にさらされながら働いていました。

吉原の遊女の平均寿命を23歳とする識者もいますが、この数字にも年季明けまで生き抜くむずかしさがうかがえます。

さらに、吉原の遊郭には遊女が早々に年季明けにならないようにする仕組みがありました。遊女は借金返済のために働いているわけですが、業務に従事する中で借金がふくらむこともありました。衣装も病気の治療費も自己負担です。さらに、遊郭のイベントにおいて客を呼べなかった遊女は揚代を自身で負担しなければなりませんでした。

『べらぼう』においても、いね(水野美紀)が“瀬川襲名のイベントはお金がかかった”と瀬川(小芝風花)に説明するシーンがありましたよね。このあと、瀬川は過酷な労働を強いられていましたが、これと似たようなことが現実においても起こっていたのです。

本編では、吉原で年季を明けた遊女たちがどのような道を歩んだのか、引退後の現実についてお伝えしました。

続いての▶▶「吉原を出た瀬川のその後…『私は そなたの夫だからな』鳥山検校と瀬似が下した、愛情ゆえの切ない決断とは?

では、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK総合)第14話の内容を深堀りします。

参考資料

永井義男(監修)『蔦屋重三郎の生涯と吉原遊廓』宝島社 2024年

永井義男(監修)『花魁の家計簿』宝島社 2025年 

ナリムラ『ぷらっと江戸吉原―タイムトラベル案内帖』POE BACKS 2023年

山本博『東大流 教養としての戦国・江戸講義』PHP研究所 2019年


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