発達障害の娘への「いじめ」のはじまり。「普通」を守れなかった子が背負ったものとは | NewsCafe

発達障害の娘への「いじめ」のはじまり。「普通」を守れなかった子が背負ったものとは

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発達障害の娘への「いじめ」のはじまり。「普通」を守れなかった子が背負ったものとは

こんにちは、ライター・岡本ハナです。私の長女は、ADHDと強迫性障害を併せ持つ、いわゆる発達障害児ちゃん。

その長女が小学3年生の頃、落ち着いていた生活が、コロナをきっかけに大きく変わってしまいました。さらに、当時は我が家の第4子が誕生。落ち着かない日々が始まり、長女の不安定な様子が目立つようになったのです。そして、周りも……。

「やっとみんなが手を洗うようになったよ」

コロナの影響で休校やオンライン授業が始まり、世の中が混乱の渦にあった頃。子どもたちもきっと、大きなストレスを抱えていたと思います。

けれど、強迫性障害をもつ長女は、そんな中で意外なことを口にしました。

「やっとみんなが手を洗うようになってくれたよ」

以前から長女は、「トイレのあとに、指先しか洗わない子が多い」と、不満そうに話していました。手洗いへの意識が人一倍強かった彼女にとって、世の中が一斉に“異常なくらい清潔”を意識するようになったのは、少しだけ心地よく感じられたのかもしれません。

けれど、そんなふうに思える時間は、長くは続きませんでした。

プールのお誘いを断らざるを得なかった理由

長女が小学3年生だった夏。私は第4子を出産したばかりで、赤ちゃんとの生活に追われ、心身ともに限界に近い毎日を送っていました。

そんなとき、長女に友達からプールのお誘いがありました。

小学校低学年の子どもがプールに行くには、大人の付き添いが必要です。けれど、産後間もない私には、とても同行できる状況ではありませんでした。赤ちゃんを連れて行くのも難しく、当時は「もしコロナに感染したら…」という不安も大きく、外出自体を避けていたのです。

長女には本当に申し訳ないけれど「今回はあきらめてほしい」と伝えました。

すると、そのとき迎えに来てくれていた友達が、こう言ったのです。

「また一緒に遊べないの?こうして迎えに来てるのに」

他の子どもたちは、コロナ禍という状況のなかでも、できる限りの工夫をして、やりたいことを続けていたのかもしれません。

でも、我が家の状況では、それが叶いませんでした。

孤立する長女、変わる友達関係

あの日を境に、長女への誘いはぱったりと減ってしまいました。

「今日、公園に行こうよ」と娘が声をかけても、「どうせ遊べないでしょ」と返されてしまう。せっかく勇気を出して誘っても、そっけなく突き放される――そんな日々が続きました。

「もしかして、これって私のせい……?」

すぐに思い出したのは、あのプールのお誘いを断った日のこと。当時は仕方のない事情があったと自分に言い聞かせてきたけれど、あれをきっかけに長女がこんな思いをしていたのだと思うと、胸が締めつけられるようでした。

やがて、娘の状況はさらに変化していきます。

久しぶりに放課後遊ぶ約束ができて、朝から嬉しそうにしていた長女。でも、約束の時間に公園へ行っても誰もいない。ようやく見つけた友達のグループにも、声をかけてもらえず、ただ一人で立ち尽くすしかない。

「知らんぷりされちゃうのが一番つらい」

そうこぼす娘の言葉に、私は何も言えませんでした。

これはいじめなの?そう思わざるを得なかった日々

そんなある日から、娘の学校生活にも変化が現れ始めました。帽子や上着がなくなることが、次第に増えていったのです。

そのたびに私は、末っ子を抱っこしたまま学校へ駆けつけ、娘と一緒に教室や廊下を探し回りました。先生に相談しても、「いじめではないと思いますよ」と、どこか他人事のように軽く返されてしまいました。

緊急事態宣言や休校などで学校との連携も難しく、確かなことがわからないまま、ただ時が過ぎていきました。まるで、ぽっかりと空白の一年が抜け落ちたような、そんな感覚さえありました。

それでも私は、これは「いじめ」なのではないかという疑念を拭いきれずにいました。

そんな中、ある出来事をきっかけに、子どもたちの人間関係の一端が明らかになったのです。

本編では、コロナ禍で始まった、長女の孤立と見えにくいいじめ。それでも親子で懸命に過ごした日々の先に、意外な事実が待っていた……そんなハナさんの体験談をお伝えしました。

続いての▶▶「あのとき、ぶってごめんね」と泣きながら告白した友達…強迫性障害の娘が相談室で知った“いじめの真実”

では、相談室で交わされた涙の告白によって、いじめの真実が明らかになります。


《OTONA SALONE》

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