*TOP画像/花の井(小芝風花) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」 2話(1月12日放送)より(C)NHK
「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は江戸時代における「吉原と花魁」について見ていきましょう。
『吉原細見』は吉原散策において必須の一冊!?
江戸時代、男の夢は“お伊勢参り”と“吉原”といわれるほど、当時の男たちにとって吉原は心惹かれる場所でした。参勤交代で江戸を訪れた地方の武士は吉原に立ち寄ることを望んでいたんだとか。現代において、地方のサラリーマンが出張で東京を訪れた際に銀座のクラブ街や新宿歌舞伎町に寄ってみたいと思うのと似ているのかもしれません。
とはいえ、吉原は東京ドーム二つ分といわれるくらい大きなエリアであり、数千人もの遊女がこの地の遊郭に在籍していました。このため、案内所があるとはいえ、吉原に不慣れであれば右も左もわからずウロウロして終わってしまうかも…。こうした事態を回避し、吉原を満喫するのに役立ったのが、鱗形屋が版元の『吉原細見』(よしわらさいけん)でした。『吉原細見』は吉原について詳細かつ正確にまとめられたガイドブックです。
『吉原細見』には主に以下の内容が記されています。
・妓楼と所属する遊女、その代金
・妓楼の紹介を行っている引手茶屋や宿の一覧
・吉原所属の芸者の一覧
新刊は正月と7月に発行(年2回)されました。また、遊女の異動があれば修正されたものがその都度制作されました。
数多くの妓楼があれば”自分好みの遊女はどこにいるの?” “この予算ではどこで遊べるの?”と迷うものですが、『吉原細見』を参照することで吉原にはじめて訪れた人もスムーズに楽しめたのです。
蔦屋重三郎は義理の兄である蔦屋次郎兵衛の引手茶屋の軒先で、このガイドブックを売っていました。そして、鱗形屋が『吉原細見』を出版できない危機に陥った際(*1)、重三郎はこの版元に参入する機会を巧みに得たのです。
重三郎が手掛けた『蔦屋版吉原細見』は従来のものよりもサイズがやや大きく、読者が見やすいよう工夫が施されていたためさらなる人気が出ました。
*1 使用人が上方の版元の本を改題して出版する事件を起こしたため、鱗形屋孫兵衛は『吉原細見』を出版できなくなった。使用人の失態といえども、店のトップである孫兵衛も責任が問われ、混乱に巻き込まれた。
花魁にあこがれるのは男たちだけではない!?当時において花魁は女性たちのファッションリーダーだった
吉原には男性客だけでなく、観光で訪れた女性客も珍しくありませんでした。
高級遊女である花魁(おいらん)は一般女性の憧れの的であり、ファッションリーダーのような存在だったといわれています。花魁は禿(かむろ)や新造(しんぞう)を従えて歩いていましたが、その歩く姿は庶民にとってまさに高嶺の花でした。
(現代においては高級クラブのホステスのメイクやファッションを参考にする女性、成人式で花魁風の着こなしをする女性がいますよね。)
花魁は鼈甲でできた簪や櫛を何本も髪に挿し、派手なヘアスタイルに劣らない華美な着物を着ていました。花魁は最新の柄の着物を着ていたため、市井の女性は彼女たちの着物を参考にすることもあったそう。
さらに、花魁には文化人としての一面もありました。彼女たちは大名や旗本、豪商を客としていたため、接客するにあたって教養が求められていたのです。華道、香道、茶道、書道、三味線などの芸事にも秀でていました。
花魁は浮世絵の題材としても人気でした。花魁の浮世絵は男性だけではなく、おしゃれでトレンドに敏感な女性からもニーズがありました。当時において花魁の浮世絵はアイドルのブロマイドのようなものであり、ファッション雑誌のようなものでもありました。
続き▶▶銭内(ぜにない)と自称する男に振りまわされる重三郎。吉原でも人の心を動かすものは「カネ」ではなかった【NHK大河『べらぼう』#2】
参考資料
車浮代『大河ドラマの世界を楽しむ! 江戸レシピ&短編小説 居酒屋 蔦重』オレンジページ 2024年
櫻庭由紀子『蔦屋重三郎と粋な男たち!』内外出版社 2024年
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』平凡社 2024年