常に近からず遠からず、視線の右端ぎりぎりに捉えられる位置で過ごしてきた友人(超美人)というような距離感でしょうか。振り返れば私たちの記憶のどのシーンも、どこかに中山美穂さんを見出せるのではないかと思います。
ライター・仁科友里さんがこの、不法に呆然と過ごす中に徐々に悲しみが沸き上がってくる心中をつづった前編記事、『中山美穂、「最後の恋が最高の恋であってほしい」と私たちが心の底から願いながら彼女を見送る「正直な理由」』に続く後編です。
言われてみると、中山美穂は「オードリー・ヘプバーン的な人」だったのではないか
晩年に自分に合うパートナーを見つけたと言えば、銀幕の妖精、オードリー・ヘプバーンが頭に浮かびます。バレエシューズ、サブリナパンツなどファッションアイコン生みの親であり、映画「ローマの休日」や「ティファニーで朝食を」などで知られる世界的な女優ですが、彼女の少女時代が暗いものであったことを知る人は案外少ないのではないでしょうか。
山口路子さんの著作「オードリー・ヘップバーンの言葉」(だいわ文庫)を元に、彼女の生涯をご紹介していきましょう。第二次大戦中、ナチスの侵略から逃れるために、当時中立国であったオランダで過ごしますが、この時に両親は離婚しています。オードリーはこの離婚で「自分は父親に見捨てられた」という思い込みを持つようになったそうです。戦争中はひどい食糧難で餓死寸前まで追い詰められるなど、戦争のむごたらしさを経験したことが、晩年のユニセフ活動につながっていきます。両親の不和と戦争という争いに巻き込まれた経験から、オードリーは平和や幸福な家庭という「安心できる場所」を持つことに並々ならぬ思い入れを持っていたそうです。
オードリーの最初の結婚相手は、人気俳優、メル・ファーラーでした。すでに人気を確立していたオードリーですが、家庭を大事にするために仕事を制限し、待望の第一子を授かります。母となった喜びに浸るオードリーですが、メルは前妻との間に子どもがいたこともあってそれほどの感動はなく、オードリーを失望させます。
もっとも、オードリーの家庭への執着は、健全な家庭に育った人にとっては、ちょっと理解しがたいものだったかもしれません。夫が出張するとき、オードリーは家の中の食器や絵などをすべて自らパッキングし、出張先のホテルでは備え付けの家具を移動させて、それらを飾ったそうです。なぜこのようなことをしたかというと、「人間にとって、一番大切な場所は家庭だから」。一事が万事ですが、ともかく家庭を大事にしたいオードリーと、そこまで思い入れのない
夫との間には溝が生まれ、二人は離婚します。
オードリーや中山美穂にしか「語れない」恋の姿が確かにある、私たちはそれを見出すことができる
次の結婚相手は、9才年下の精神科医・アンドレア・ドッティでした。お子さんも授かり、幸福な再婚生活と言いたいところですが、夫が仕事で遅くなる時は、病院に訪ねて行って二人で夕食を取るなど「家族(夫婦)とは、こういうもの」というルールを相変わらず課していたようです。また、夫も遊び癖が治らず、たびたび女性問題を起こし、二人は離婚します。
最後の相手は、8才年下のオランダ人の俳優・ロバート・ウォルターズでした。上述した2人の夫と比べると、社会的な成功度合は若干低かったかもしれません。しかし、常にオードリー寄り添い、ユニセフ活動のきっかけを作り、サポートもしてくれました。こんなにうまく行っている2人でしたが、結婚という形を取りませんでした。理由を聞かれたオードリーは「式を挙げなくても、私たちはすべてを手に入れています」とコメントしたそうです。最後の恋が最高の恋だったわけです。
真に求めるべき愛や人生とは、肩書でも形態でもなく、寄り添いあう心が作り上げる中身そのものなのだ。このようなことは、口にすれば当たり前のようにも思えます。しかし、実践するとなると、まずできない。オードリーや中山さんのようなスターでなければ教えられないことなのかもしれません。
お別れに際しては、最愛の息子さんもパリからかけつけて会うことができたそうで、本当によかったと思います。中山さんのご冥福をお祈りしたいと思います。