解体される防災センターの教訓を汲み取る | NewsCafe

解体される防災センターの教訓を汲み取る

社会 ニュース
東日本大震災で、200人以上が犠牲となった岩手県釜石市の鵜住居地区防災センターが15日で立ち入り禁止となります。これまで、震災で多くの人が犠牲になった公的施設で、一般の人が立ち入りできていたという意味では、極めて稀でした。そのセンターも解体が決まりました。被災地では、震災遺構が消えてゆきます。

本来は「防災センター」は津波避難所として指定されていません。地域の津波避難所は、山側にある神社の境内やお寺の裏山でした。しかし、地域のお年寄りが避難訓練に参加しやすいように、訓練のときだけの仮の避難所として利用していました。また、実際の津波注意報が出たときでも、地域の人が防災センターに避難しました。

しかし、市としては本来の避難所ではない旨を周知徹底しませんでした。そのため、震災当日には200人以上が避難してしまい、多くの人が亡くなりました。防災センターの「津波被災調査委員会」は、市の責任は重い、とする中間報告を出しています。

6日は、地域の復興まちづくり協議会主催で防災センターの「お別れ会」が開かれました。これまで、震災遺構として残すべきか、解体すべきか、両者がありましたが、最終的には市長が解体を決断しました。協議会としても、復興のためのまちづくりのためには解体してほしいとの要望を出していました。

お別れ会の市長の挨拶で「解体反対の声は耳に入らなかった」と述べていましたが、保存を望む声はありますし、解体を望みながらも、実際に解体されるとなると複雑な心境になる人もいます。「反対の声がない」かのような発言は、乱暴なまとめのような気がしました。

ただし、解体が決まったわけですが、解体に反対しようが、賛成しようが、望みは一緒です。「悲劇を繰り返さない」「二度と悲しい思いをする人を増やしたくない」といったことです。現実感のある防災教育、津波教育をどのように展開していくかが鍵となっています。

これまで震災観光などで訪れた人の中には、防災センター内に入り、この施設が二階の天井まで津波にのまれ、多くの人が亡くなった現実を実感して帰ったりしていました。私もここに訪れるたびに、悲しい現実を突きつけられますし、教訓を汲み取ろうとしていました。

私は栃木県出身で、内陸育ちです。そのため、津波を意識することはなく育ちました。しかし、宮古市で亡くなった方の中に、栃木県出身がいました。宮古地方に嫁いで来たのです。また、たまたま通りかかった人が津波にのまれたという話もたくさん聞きました。そういう話を聞くたびに、内陸出身だからとって、津波をまったく想定しないことは危険だと思っています。いつどこにいるのかわかりませんから。
こうした意味では、様々なリスクに供えた防災教育が今後は必要です。東京直下や東南海地震があるのではないかと言われています。そんなときだからこそ、海がなくても、津波を想定しなくてよいとは思えないのです。解体されてしまいますが、防災センターの悲劇の教訓を忘れないようにしたいと思います。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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