日本のTV放送は60年を迎えるが、その当初の「1963年」から大河ドラマは始まり『第一作(モノクロ)は井伊直弼の生涯をテーマとした「花の生涯」:メインキャストは尾上松緑・淡島千景・佐田啓二』である。
大河ドラマには、NHKの世論研究所が国民のニーズを調べてテーマを選び、その題名は有馬記念の優勝馬にリンクする…と言う都市伝説がある。
視聴率も高いが、なかには大外れもある。日曜日の夜、家族の団欒と言う時間帯を考えると「創作もの・汚い話や映像」は外れるのである。長年大河ドラマを見ていると「コンセプトの明快さと第一作の出来」で大方の具合がわかるようになった。
その点で今回の「八重の桜」は「明治維新を敗軍の側から描き・女性に焦点を当て・困難に屈しない強さを描く&明快な映像美」で大いに期待が持てる。
「会津」といえば「白虎隊・悲劇の藩…」と思うが、1回目のメインテーマは「会津とは:その原点は教育にあり」であった。
会津の教育制度とその根幹である「什(じゅう)の掟」をこのドラマで知った人は多いと思う。
識者は次のように語る。
『会津では同じ町に住む6才~9才までの藩士の子供たちは10人前後で集まり、それを「什(じゅう)」と呼び、年長者が什長となり毎日順番に什の仲間のいずれかの家に集まる。什長が「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、お話が終わると昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行ったのである。
年長者の言うことに背いてはなりませぬ
年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
嘘言を言うことはなりませぬ
卑怯な振舞をしてはなりませぬ
弱い者をいじめてはなりませぬ
戸外で物を食べてはなりませぬ
戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
その話は、上記が基本で、最後が「ならぬことはならぬものです」が締め言葉。「お話」に背いた者がいれば、什長は事実の有無を「審問」・事実に間違いがなければ「年長者の間でどのような制裁を加えるか」を相談し、子供らしい次のような制裁を加えました。
無念(むねん):1番軽い処罰で、みんなに向かって「無念でありました。」と言ってお辞儀をしてお詫び
竹篦(しっぺい):いわゆる「シッペ」です。手のひらで加えるか又は手の甲に加えるか、何回加えるかを決める
絶交(ぜっこう):一番重い処罰でいわゆる「仲間はずれ」(めったに加えられる罰ではありませんでした)
一度「絶交」を言い渡された場合には、その父か兄が付き添い「お話」の集まりに来て、什長に深くお詫びをし、什の仲間から許されなければ、再び什の一員に入ることができなかった』
今考えてもまことに「合理的で明快なテーマと罰」であると思う。現在の学校にはびこる陰湿なイジメとは大違いである。会津の敵対藩であった長州に連なる安倍総理が執念を燃やす「教育の改革」にぜひこの考え方を取り入れてもらいたいと思うのである。
[気になる記事から時代のキーワードを読む/ライター 井上信一郎]
《NewsCafeコラム》
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