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踏まれても踏まれても

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2月26日にチェコで行われた「ノルディックスキーW杯複合」で、渡部暁斗が今季3度目の優勝に輝いた。高橋大斗以来8シーズンぶりのW杯優勝だったが、そのニュースがまだ冷め遣らぬうちに18日に2勝目。さらに今回と続き3回目を記録。荻原健司に次ぐ優勝回数となりビッグな記録を打ち立てた。

キング・オブ・スキーと言われる「ノルディック複合」。
クロスカントリーとジャンプが合わさった競技で、北欧を中心にヨーロッパ勢が長年独占してきた。92年に彗星のごとく荻原健司が登場し、「アルベールビル冬季五輪」では複合団体で金メダル。さらに「リレハンメル冬季五輪」で連覇を達成した。
荻原始め日本選手は前半のジャンプで大差をつけ、後半の距離で逃げ切るというパターンが多い。ところが日本のあまりの強さに国際スキー連盟は、日本得意のジャンプの得点比率を下げ、距離を重視するルール変更をシーズンごとに実施している。荻原たちは踏まれても踏まれても頑張ってきたが、最後は外国人選手がジャンプ強化。日本の利点は失われ、表彰台は遥か遠いものになった。日本はジャンプ同様に競技以前に負けたのだ。

そんな中で、荻原たちに刺激を受けた子供たちが育つ。
小林範仁はチェコでの世界選手権団体で14年ぶりの金メダルを獲得した。ジャンプは遅れたが後半の距離で差をつめ最後は小林とドイツ選手との一騎打ち。写真判定で日本復活優勝となった。
また、活躍したのが渡部暁斗。ジャンプも距離も良く、バランスの取れた選手だ。かっての日本黄金時代とは違うパターンを身につけていた。もっとも今回のW杯初優勝はビッグジャンプが生きて、後半逃げ切った勝利だった。しかし3度目の優勝はジャンプで4位だったが、後半の距離で逆転。渡辺の得意技が生きた勝利だった。

長野県白馬村で生まれた渡部は小学3年生のときに長野五輪を間近で見る。そして「いつかは五輪へ」という夢が芽生えたという。
ジュニアの頃から頭角を現し、06年トリノ五輪に高校2年生で出場。結果は残せなかったが成長のキッカケを掴んだ。そして09年世界選手権の団体金メダル獲得のメンバーとなった。期待された10年バンクーバー五輪では、結果を残せなかった。その時に「1人になっても走れる選手に成長した。

「メダルを狙う選手になる」

悔しさが今の飛躍に繋がった。

若手育成とワックス。これが日本復活のキーワードだ。
渡部にしても小林にしても、高校時代から日本代表として海外の大きな大会に出場。これらの経験が生きてバランスのいい選手に育った。

もう一つはワックスの成功。スキー競技では、外気の気温、湿度、雪の温度など様々な条件を検討し、何十種類とある中からワックスを組み合わせて塗る。ワクシングと言うこの技術は、その環境に最適のワックスをミックスさせ、その配合が競技の決め手になる。日本の滑りのよさは他国を驚嘆させている。

折角復活の兆しを見せたノルディック複合。冬季五輪になると「ガンバレニッポン」となるが、費用のかかる冬季スポーツには暖かい支援が欠かせない。

[ビハインド・ザ・ゲーム/スポーツライター・鳴門怜央]
《NewsCafeコラム》
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