私は極度の怖がりだ。
初めてのことや、慣れないことをするのが、怖くて怖くて仕方がない。
飲みにいくのは、なるべく馴染みの居酒屋にいきたい。店への愛着もあるが、それ以上に初めての店にいくのが怖いからだ。
「不味かったらどうしよう」
「一見さんとバカにされたらどうしよう」
などと考えてしまい、新しい店に入るのにどうしても尻込みしてしまう。
初対面の人に会うのも正直、苦手だ。
「凶暴な人だったらどうしよう」
「怒らせてしまったらどうしよう」
などと考えてしまい、逃げ出してしまいたいぐらいに怖くなる。
なるべくなら、馴染みの店だけで飲み食いし、すでに気心の知れている人とだけ関わって生きていきたい。できる限り怖いことを遠ざけたい。
家から出るのだって本当は嫌だ。外は怖いことだらけだ。ずっと居心地のよい家に閉じ篭って、テレビを見たり、本を読んだりしていたい。そんな風に生きていければ、どれだけ楽だろう。…そう思ってはいるものの、新しい店に気持ちを奮い起たせ飛び込み、震えそうになるのを必死に抑えて人に会う。
なぜだろう。
それは希望を抱くから。
「驚くほど美味しいものが食べられるかも知れない」
「素敵な人と友達になれるかも知れない」
どんなに怖くても、沸き上がってくる小さな"希望"。
希望は厄介だ。居心地のいい場所から追い出そうと臆病者の背中を押す。その上、平気で裏切ってくれる。何度、ひどい目に遭わされたことか…。
それなのに、希望を捨てることが、私にはどうしてもできない。
私だけでなく、多くの人が希望を捨てられないのではないだろうか。
それは、人間の遺伝子には、"希望"が刻まれているからだと思う。だから人間は、ずっと昔から未開の地に乗り込み、絶望からも立ち上がってきたんだと思う。
"希望"の誘惑はあまりに甘美だ。
今日も私は希望の誘惑に負け、居心地のよい家をでて、怖くてたまらない外の世界に出ることになってしまった。
まったく希望とは厄介で、素晴らしい。
[編集後記~Newsスナック/NewsCafe編集長 長江勝尚]
《NewsCafeコラム》
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