あの日を忘れないために | NewsCafe

あの日を忘れないために

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東日本大震災を記録する映像があります。今回の震災は、それまでと違い、被災当事者が携帯電話やスマートフォンなどで撮影した動画がインターネットの動画サイトにアップされています。当時の緊迫感を伝えるものとしては貴重な映像がいくつも残っています。

震災の記録は、これまで写真として残っているものはありますし、動画でも残っているものもあるでしょう。しかし、インターネットの動画投稿サイトの登場は、そうした記録を瞬時に共有することができます。

そうした記録は「瞬時の記録」として、つまり、「いつ、どこで、何があったのか?」を想起させるものとしてもはとても貴重です。しかし、その時に、人々が何を感じていたのかについて記録しているものはそれほどありません。そうした記録は、報道や映画の役割になっています。

もちろん、プロかアマチュアかは関係ありません。私も東日本大震災の取材では、映像も撮影し、一部はYou tubeなどにアップしています。活字で表現する「ペン記者」としては長年経験してきましたが、映像を記録する「カメラ記者」としては全くの素人です。その素人である私の動画も当時の人々の思いを伝えるように努力はしたつもりです。

また、そうした動画サイトの映像とは違って、あくまでもドキュメンタリー作品にまとめることにこだわった作品も登場しています。今回のコラムでは、「大津波のあとに」と「槌音」を紹介します。

森元修一監督の作品の「大津波のあとに」は、3月23日からの10日間を記録したものです。森元監督とは、震災2週間後の仙台市内や半年後の大川小学校(児童108人中74人が死亡・行方不明)などでも会いました。その時はどんな作品になるのかは知りませんでした。2週間後ですから、直後の緊迫感はありません。しかし、被災した後がまだ生々しく残っている時期です。「マスコミ・入場禁止」といった張り紙が掲げられた避難所もあるなど緊張感が漂っていました。

私は被災地を取材した初めに目を向けるのは「風景」でした。一面が瓦礫であり、建物が崩れています。一生懸命にカメラに納めようとします。しかし大規模の自然災害です。なかなか、カメラだけでは伝えることができない。私はそう感じて、なるべく、その風景の中に人を入れよといました。

それは森元氏も同じだったようです。映画は時間経過とともに人が中心に入ってきます。消防隊員ほか、被災者自身の肉声を記録しようとしていました。大川小前では子どもの写真をカメラを持った森元氏に見せたり、子どもの痕跡を探そうとしている関係者はいました。

「槌音」の監督大久保愉伊氏は、岩手県大槌町出身で、実家も被災し、祖父は亡くなりました。大久保監督は3月25日から5日間、実家の跡地や漁港、駅などをスマートフォンで録画しました。また、東京に持ち出していたホームビデオで撮った家族や祭りの映像と、震災直後の映像を混ぜ合わせた作品になっています。被災前にタイムスリップした感覚も漂ってきます。

私も4月頃から何度か大槌町を取材しています。取材は行き当たりばったりで出会った人たちのインタビューがほとんどです。もちろん、何度か同じ人も取材をしています。しかし、震災前からのつながりはありません。同じ場所を記録するにも、取材者としての私と、被災当事者としての大久保氏とでは、もちろん、視点が違います。大久保氏の作品は、過去の思い出や現在まで続く日常が一日で失われる喪失感を伴っています。

なかでも、印象的なのはやはり「祭りの映像」です。大槌町の人に行くと、「祭りがあるから楽しいんだ。だから、この土地に残っている」という話をよく聞きます。大久保氏も祭り好きといいます。この土地では祭りは切り離せない。そんな当事者目線が現れています。だからこそ、喪失の辛さが伝わってきます。

この二つの映画は東京・渋谷の「アップリンク」(03・6825・5503)で25日までロードショー。開演は午後6時45分から。当日一般は1300円、学生・シニアは1000円。連日トークショーもあります。私もすでに20日の上映後、トークに招いていただきました。また、今後の上映先も探している、とのことです。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://foomii.com/mobile/00022)を配信中]
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