ただ、「ストレス因によって、記憶の一部がない」と、弁護側鑑定医が証言していました。
記憶の一部がなくなるほどのストレスとは何でしょうか。
鑑定医は「インターネット掲示板のなりすましやあらし」を上げています。それだけで記憶の一部がなくなるのでしょうか。
もしそうだとすれば、それほど「掲示板」が大切な場所だったことになります。
どうしてそこまで「掲示板」に依存していたのでしょうか。
私は90年代後半から、インターネットを居場所にする人たち、匿名の人たちとのやりとりに安心感を抱く若者たちを取材してきました。
こうした感覚を持っている若者たちは、現実の社会での居場所のなさや、生きづらさを感じています。
依存するほどの「生きづらさ」を感じていたとなれば、加藤被告も自ら動機としては否定した
「格差社会や恋愛至上主義、非正規雇用問題などの現代社会への絶望」
が、心の奥底で大きなものになっていた可能性もあるのではないでしょうか。
もう一つの注目されるところは、法廷での加藤被告の変化です。10月25日、タクシー運転手の湯浅洋さんの意見陳述がありました。
加藤被告にナイフで刺されてけがをした湯浅さんは「極刑を求める」としつつも、
「私自身、被害者として辛いのは、事件で傷を負ったこと、助けに向かいながらも何もできなかったこと、そして私の3人の子どもと同世代の加藤被告に、『死刑を与えてください』と言わなければならないこと」
と述べたのです。
そして、「最後に加藤被告に言ってもいいですか?」と裁判長に許可を求め、
「謝罪の手紙をもらいました。事件について正直に話したいとありました。私は信じたい。でも、傍聴して聞いていると納得いかない。今からでも遅くない」
とも話したのです。
この時、湯浅さんは証言台からすぐ近くの被告席にいる加藤被告と見つめ合ったのです。
この公判で、証人と目を合わせたのはこれが最初だったのではないでしょうか。
この時のことを12月15日、検察官からの被告人への再尋問で聞かれ、加藤被告は「直接話しかけられるように言われたので、つい」と言い、
「自分を傷つけた犯人に対してですから、もっと感情的に怒りをぶつけるのであろうと思っていた。一人の人間として見られていることに感謝したい」
と答えたのです。加藤被告の人間味が垣間見えました。
証言台に立った遺族や被害者の多くは「加藤被告を理解できない」「同じ人間とは思えない」と訴えています。
その中で、湯浅さんは、死刑を求めつつも、「信じる」という言葉を使いました。
こうした態度が加藤被告の心境に変化を与えたのではないか、と私は感じました。
それにしても、湯浅さんは被害者であるのに、なぜ寛大になれるのかも不思議でした。
その一方で、公判では、数多くの遺族、被害者の調書も読み上げられ、また意見陳述がなされました。
なかには、心理的なダメージが強く残っているだけでなく、そうした状態を周囲に理解されない訴えも聞かれました。
犯罪被害者への無理解も浮き彫りになったのです。「私たちの社会は、寛容さが欠けている」。そう感じました。
(終わり)
《NewsCafeコラム》
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