2006年6月8日、秋葉原の路上で7人を殺害、10人を傷つけた、いわゆる秋葉原通り魔殺人事件を覚えているでしょうか。
この事件の裁判はまだ続いています。
被告人質問の際には、傍聴希望者が傍聴席の数を超えたために抽選となりました。
最近では遺族や被害者の調書読み上げや意見陳述だったこともあるためか、抽選となりません。関心が薄れてきているのでしょうか。
東京地裁(村山浩昭裁判長)で行われている加藤智大被告(27)の公判は、2010年12月15日で証拠調べが終わりました。2011年1月25日には、検察側の論告求刑が行われます。
私は公判を傍聴し続けてきましたが、このコラムでは2つの点に注目したいと思います。
まず、報道とは違う点についてです。
この事件は当初から、非正規雇用や非モテ(モテないこと)の問題としてクローズアップされた面があります。
そのため、非正規雇用をはじめとする格差社会の問題をメディアが取り上げるきっかけの一つにはなりました。
また、結婚をしていない男女が多い現状にも目を向けることにはなりました。
しかし、非正規雇用や非モテである点が事件の動機になったことを加藤被告は否定しています。
動機として最も大きいのは、加藤被告が使っていた、携帯電話でしかアクセスできないインターネットの掲示板だったのです。
そこは加藤被告にとって「居場所」であり、「家族同然」だったのです。
その「居場所」だった掲示板に、なりすまし(偽物)や荒らし(場を荒らす者)がいたので、加藤被告は憤慨するのです。
その怒りを示すために事件を起こした、というのです。
この感覚には、どのくらいの人が共感できるのでしょうか?
被告人質問で加藤被告は
「嫌がらせをしたことを知って、事件に対して思い当たるふしがあると思ってほしかった。(荒らし行為や、なりすましを)本当にやめてほしかったことが伝わると思っていました」
と語っています。
「格差社会や恋愛至上主義、非正規雇用問題などの現代社会への絶望があったのではないか」。
被告人質問を聞くまでは、報道を見ていた私はこう思っていたのです。
この社会の「生きづらさ」を代表したと思われた加藤被告は、ある種のダーク・ヒーロー扱いをする人たちも現れました。
ところが、公判が進むに従って、それは「裏切られる」ことになります。
加藤被告は、確信犯的に社会を壊そうと思っていたわけではないのです。
(続き)
《NewsCafeコラム》
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